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下野福原氏
●一文字
●藤原氏北家流那須氏族


 福原氏は下野の戦国大名那須氏の一族で、源平合戦に活躍した那須与一宗隆(資隆)の兄福原四郎久隆に始まる。久隆以降、本家の那須家から養子を迎えるなどして、那須宗家とは深い関わりを持ち続けた。
 この福原家を含め、那須一族の芦野家・千本家・伊王野家、丹党で重臣の大関家・大田原家、それに本家那須家を加えて「那須七騎」と称された。

大関・福原・大田原の三兄弟

 天文十八年(1549)九月、那須高資と宇都宮尚綱が「五月女坂」に戦ったとき、福原資衡は那須氏の一方の将として参戦し功を挙げている。資衡には男子が無かったようで、那須高資の弟資郡を養子に迎え、資郡のあとは大田原氏から資孝が入って家督を継いだ。資孝の兄高資は大関氏を継ぎ、大田原氏の家督は弟の縄清が継いでおり、大関・福原・大田原の三兄弟は那須氏の家臣の中で最大の権力を有した。
 大関高増は、那須家中における権力をさらに確固たるものにせんと画策し、那須七騎の一である千本資俊・隆継父子を討つ謀略を練った。そもそもの発端は、千本隆継は黒羽大関未庵(高資)の娘を妻として一女をもうけていたが、嫁と姑の間が悪く、隆継は嫁大関氏を離縁してしまった。これに怒った大関高増は千本氏を討つことを決めたのだという。なんとも無茶な話ではあるが、時代は戦国である。高増は那須資晴を味方につけようとしたものの、資晴は千本を討つことは譜代の家臣を失うことでもあり反対したようだが、結局高増に説き伏せられてしまった。
 千本父子のもとへ「那須上庄の家臣が謀叛を企てているので、相談をしたい」という大関からの口上を使者がもってきた。千本父子は疑いもせず、指定された滝寺(大平寺)に出かけていった。そして、庫裏に案内されたところを、福原安芸守(資孝)が資俊に斬り付け、大田原三河守が資政(隆継)に斬り掛かって父子を殺害してしまったのである。そして、千本領は大関・福原・大田原の三兄弟が分割して知行することを許され、千本氏の家督には茂木氏から迎えられた四郎義政(のちの大和守義隆)が継いだ。
 このように、戦国末期における那須家中における大関・福原・大田原の三兄弟の横暴は目にあまるものがあったようだ。

徳川旗本として近世へ

 ところで、那須七騎は那須氏を中心にしていたとはいえ、それぞれ非常に独立性が強かった。それは、天正十八年(1590)の豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた「小田原の役」に際しての七党各氏の対応に表れている。
 すなわち、本家那須家は後北条氏寄りの態度にこだわって遅参し、所領没収の憂き目に遭った。それに対して、福原資孝は大田原・大関氏とともに小田原に参向し所領を安堵され、以後秀吉に仕えて数々の合戦に参加して功をあげた。のち、福原の采地を改められ、那須郡佐久山を領した。秀吉の死後は徳川家康に接近して、保通を人質として遣わす巧みな処世をみせている。
 嫡子の資広は父に先だって死去していたことから、資孝の跡は孫(二男?)の資保が継いだ。資保は慶長三年(1598)十一月、徳川家康に拝謁して、下野国那須郡の内に二千六百石の地を安堵された。同五年、家康の上杉景勝征伐が起こると下野小山の陣に馳せ参じ、景勝への押さえの役割を与えられて、皆川広照・服部正成らとともに下野大田原城を守った。戦後、その功を賞されて三百石の加増を受けている。
 以後、徳川家旗本として相馬義胤の所領没収に際して陸奥国牛越に出張、慶長七年(1602)、佐竹義宣の国替えに際しては、皆川広照とともに陸奥国岩城に至りその居城を受け取った。これらの功によって千石の加増を受けた資保は、新墾田地なども合わせて四千五百石の大身旗本に出世した。以後、子孫相次いで徳川家旗本として代々采地に住し、交代寄合の一家として存続した。・2005年4月20日

参考資料:寛永諸家系図伝 ほか】


■参考略系図
・宗家那須氏の系図は、世代が多すぎるようである。福原氏と比較して世代数の差がかなりある。


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