●その後の伊庭氏
江戸時代、幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』に伊庭氏二家が記されている。一つは儒者として幕府に仕え食禄五百俵を給された伊庭氏、もう一つは御徒として召されのちに御勘定役となった伊庭氏である。いずれも、中世の伊庭氏との系譜関係は不明であり、六角氏に抗した伊庭氏の権勢にはほど遠い存在であった。
一方、戦国時代の末に蒲生郡桐原郷に身をよせ、伯太藩渡辺氏に仕えた伊庭家がある。渡辺吉綱に仕えた伊庭氏は、江州における伯太藩の飛び地(西宿、虫生、峰前、竹村等五ヵ村三千石)を支配する代官に挙げられ、代々、代官職を世襲した。その家系しに生まれた伊庭貞剛は、住友財閥の基礎を築いた人物として有名である。・2008年3月20日
【参考資料:神埼郡志/蒲生郡誌/能登川町史/八日市市史 ほか】
■参考略系図
・『古代氏族系譜集成』の編者である宝賀寿男氏から送付いただいた「伊庭氏系図(二本)」から作成。宝賀氏によれば、伊庭貞剛の家の系図という。伊庭の乱の当事者である貞隆・貞説父子をはじめ、記録にあらわれる人物こそ見えないが、貴重な資料であることは間違いない。
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