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本阿弥氏
星 梅
(菅家流)


 代々、刀剣のとぎ(磨研)・ぬぐい(浄拭)・めきき(鑑定)の三業を家職とした本阿弥家は、「ほんなみ」と読み、伝えられる系図によれば菅原氏の分かれという。『姓氏家系大辞典』の本阿弥氏の項には、「菅原高長の晩年の庶子で、長兄長経の養子として育った長春が祖」で、長春は妙本と称して足利尊氏に仕えたと記されている。この説の真偽は不明だが、本阿弥氏に伝わる系図は菅原姓を称し、家紋は菅原氏ゆかりの「梅紋」を用いている。
 本阿弥家は室町幕府の御用をつとめながら、商人として経済活動にも従事、戦国時代には京の上層町衆として知られる存在であった。また、熱烈な法華信者で、本阿弥家には厳格な節倹、誠心の気風が流れていたという。
 本阿弥家六代の本光は松田氏から養子に入った人物で、足利将義教に仕えたという。七代光心の婿養子となった光二は、応仁の乱の当時、京都所司代として権勢を振るった多賀高忠の孫と伝えられている。これらのことから、本阿弥氏が町衆といいながら、室町幕府に出仕する武家と深い関係を有していたことがうかがわれる。光心の婿養子となった光二であったが、のちに光心に実子光刹が生まれると別家を立てた。
 光二は駿河の戦国大名今川義元のもとに出仕していたが、桶狭間の合戦において義元が織田信長に討たれると信長に仕えるようになった。天正年間(1573〜92)には、越前の前田利家から知行を受けるようになった。永禄元年(1558=弘治四年)、この光二と妙秀の嫡男に生まれたのが、有名な本阿弥光悦である。
 
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本阿弥光悦ゆかりの鷹ヶ峰の光悦寺





総合芸術家、本阿弥光悦

 本阿弥家は刀剣の磨研・浄拭・鑑定の三業を家職としたが、刀剣の製作工程には木工、金工、漆工、皮細工、蒔絵、染織、螺鈿などの様々な工芸技術が注ぎ込まれており、いわゆる工芸の総合芸術といった側面を有していた。光悦は父光二のもとで、幼い時からあらゆる工芸に対する高い見識眼を鍛えぬかれていった。さらに、父が分家となり家業から自由になったことと、京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に比肩する富を背景として、和学の教養と独自の書風を身につけるなどして美術工芸面に金字塔をうち立てることになるのである。
 光悦は若き俵屋宗達を見い出し、一流の芸術家に育て上げ、俵屋宗達との合作で『鶴下絵三十六歌仙和歌巻(鶴下絵和歌巻)』を世に出した。一方、茶の湯を古田織部に学んだ。ところが織部は、元和元年(1615)、大坂夏の陣において豊臣方に通じたとの罪によって自害させられた。この事件がきっかけとなって、光悦は徳川家康から京都の西北鷹ヶ峰に広大な土地を与えられた。すなわち、京町衆の有力者で熱烈な法華大将である光悦が、古田織部と親しかったことを嫌った家康が、体よく光悦を京都の郊外に追い出したというのである。しかし、光悦は家康とも親密な交流があり、家康の光悦排斥説はうなづけないものである。
 いずれにしろ、鷹ヶ峰に俗世や権力から離れて芸術に集中できる空間を得た光悦は、一族・縁者、職人たちとともに移住、以後、亡くなるまでの二十年間、鷹ヶ峰の地で創作三昧の日々を送った。
 光悦の交友は大名をはじめ、公家、武士、僧侶など広範に及び、角倉素庵に協力して出版した嵯峨本や俵屋宗達の下絵に揮毫した鶴下絵和歌巻、色紙、さらに蒔絵、茶碗などは、当代の日本文化の花と讃えられる。さらに、近衛信尹、松花堂昭乗と並んで寛永の三筆の一人と讃えられた。ある日、近衛信尹が自邸に光悦を呼んで話している時、信尹が「今の日本で最も字が上手いのは誰だろう」と尋ねた。普通なら信尹と答えるであろうが、光悦は「二番目があなたで、三番目は松花堂」と答えた。「では1番は?」との信尹の問いに「勿論私です」と答えたという話が伝わっている。
 こうして、芸術活動に専念する幸福と盛名を得た本阿弥光悦は、寛永十四年(1637)二月三日、享年八十歳を一期として生涯を終えた。光悦の墓は、かれが作り上げた芸術村鷹ヶ峰の光悦寺に静かに佇んでいる。光悦の死後、家督を継いだ光瑳は前田家から二百石、その子光甫の代に三百石を与えられ、子孫は幕末に及んだ。

参考資料:京都市史 ほか】


■参考略系図
・「姓氏家系大辞典」などから作成。別本「本阿彌系図」では、 高長−長経−季長−為視−為綱−為守−為清、(為清弟)妙本−本妙となっている。  


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