横瀬氏
五三の桐/二つ引両
(武蔵七党横山氏後裔/新田氏族)


 横瀬(由良)氏の家紋は、『関東幕注文』に「五のかゝりの丸之内の十方」とある。十方とは、『日本紋章学』によれば「七宝紋」の別称であると記され「輪違い紋」とも称される。それでは「五のかゝり」とは何を表現したものだろう。
 武蔵から出て丹波の地頭となった久下氏は、「一番紋」で知られる。その久下氏の由緒に、幕の紋の据え方を嫡流は五●懸(いつのがかり)で、庶流は三●懸と記されている。 とは布の古字で、幕に限ってこの文字を用いた。つまり、五●懸、三●懸とは幕に据えた紋が五枚の布に懸る、三枚の布に懸るということを示したものである。ちなみに、仙台伊達氏の竪三つ引両の紋を三段頭という場合があるが、これは幕に用いる紋に限っていわれるもので、三 懸に据えたことを示している。
 『関東幕注文』にみえる横瀬氏の「五のかゝりの十方」とは、十方すなわち七宝紋を五 懸(いつのがかり)で幕に据えたものである。庶流の横瀬氏は「四のかゝりの丸之内の十方」と記され、宗家より小さく四●懸(よつのがかり)に紋を据えたことを示している。このように、幕注文における横瀬氏の幕紋の記述は、紋を幕に据えた大きさを表現したもので、永禄期における横瀬氏の家紋は「輪の内に十方(七宝)」であったとみてよいだろう。
 また、横瀬(由良)氏は新田氏から分かれたということで、ゆかりの「二つ引両」「桐」も用い、さらに「葵紋」も用いたことが知られる。江戸時代、由良氏の葵紋と将軍家の葵紋が似ていたことから、登城の折、将軍家の一門と間違われることが多く、紋形を「立ち葵に水」に改めたという。




●左から:五のかゝりの丸之内の十方/四のかゝりの丸之内の十方


■横瀬氏の家伝 ■由良氏の家伝


バック戦国大名探究出自事典地方別武将家大名一覧

応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋 二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
見聞諸家紋
そのすべての家紋画像をご覧ください!



地域ごとの戦国大名家の家紋・系図・家臣団・合戦などを徹底追求。
戦国大名探究
………
奥州葛西氏
奥州伊達氏
後北条氏
甲斐武田氏
越後上杉氏
徳川家康
播磨赤松氏
出雲尼子氏
戦国毛利氏
肥前龍造寺氏
杏葉大友氏
薩摩島津氏
を探究しませんか?
丹波篠山-歴史散歩
篠山探訪
www.harimaya.com