酒井氏
左三つ巴/五枚笹上はつれ雪
(桓武平氏貞盛流)


 戦国時代、丹波酒井氏が用いた家紋を探るうえで、『羽継原合戦記』『関東幕注文』に「さかい」氏の家紋に関する記述があり、史料として参考にした。一方、現在丹波篠山市内に在住される酒井氏の後裔を称する家々がどのような家紋を用いているのかを探った。
 『羽継原合戦記』は鎌倉府の公方足利持氏が、永享七年(1435)六月、鎌倉府に反抗する常陸長倉城主長倉義成を討伐したときの軍記物語で、別名『長倉追罰記』ともよばれる。同書には、長倉城攻めに参戦した武将の家紋百二十余が記され、そのなかに「上総の境はともえ」とある。この境氏は、桓武平氏千葉氏流の境氏と目されているが、千葉氏一族の共通紋である「月に星」紋を用いずに「ともえ」を用いたところが興味をひく。一方の『関東幕注文』は戦国時代の永禄三年(1560)、越後から関東に出兵してきた上杉謙信(当時は長尾景虎)が、自陣に馳せ参じてきた関東諸将の幕紋を記録したものである。そのなかに、上総酒井氏の紋が収録され「鐙のかくに巴」と記されている。これらのことから、上総酒井氏の出自はおくとして「巴」紋を共通して用いていたことが知られる。
 幕注文に出てくる酒井氏は、上総土気、東金の二家に分かれて戦国時代の上総に勢力を振るった。そして、その出自は清和源氏土岐氏の流れを汲むというが、酒井氏の菩提寺である土気善勝寺の位牌・墓石には「藤原」「藤原朝臣」と記されており、酒井氏遺臣の家に伝わる過去帳の中でも「酒井越中守藤原定隆」と記されていることなどから、上総酒井氏は藤原氏の後裔とみるのが自然な状況である。加えて、江戸時代に編纂された『寛永諸家系図』にみえる上総酒井氏は秀郷流藤原氏とされ、土気酒井家は「左三ツ巴」、東金酒井家は「右三ツ巴」を用いていたとある。

現代の鐙 三善一族佐波氏のカコ紋 鐙のカクに巴紋


●丹波酒井氏の家紋は?

 さて、丹波酒井氏の家紋にである。本文にも記したように、丹波酒井氏は承久の変の功により、桓武平氏の流れを汲む兵衛次郎政親が関東から丹波の地に移住してきたことに始まるとなっている。以後、酒井氏は犬甘・主殿・油井保を領して勢力を拡大し、この三保は江戸時代には酒井荘とも呼ばれた。戦国時代になると、栗栖野・竹内(当野)・八代の三家を中心に、宮林・福井・初田・平尾・西川・山俵・林・平井・西垣の諸家が分かれ、酒井党と呼ばれる同族武士団を形成した。往時、酒井荘と呼ばれた丹波篠山市の南方を歩くと、酒井姓の家が数多みられ屋根の軒部分には「巴」紋が描かれている。さらに、南八代の大歳神社に近い墓地には酒井氏の墓石が林立しているが、そのすべてに「巴」紋が刻まれている。
 ところで、中世における酒井氏は幕紋に「カコ(金偏に交と具)」を用いていたという。「カコ」とは乗馬した際に足を置く鐙の金具の部分をいい、家紋としては珍しいもので、鎌倉幕府・室町幕府に文官として出仕した三善一族の用いた紋として知られる。酒井氏は「カコ」紋を三善氏から譲られたといい、それは、兵衛次郎政親の母光蓮が三善氏から兵衛太郎明政に嫁いだときに伝えたものであろうと思われる。
 ここで気になるのが、『関東幕注文』に記録された上総酒井氏の「鐙のカクに巴」と、丹波酒井氏の「カコ」との共通性である。「カコ」という珍しい紋が、上総と丹波という遠く離れた地に拠ったそれぞれの酒井氏がともに用いていることに驚かされるのである。ちなみに、上総酒井氏の出自に関して『姓氏家系大辞典』では、秀郷流松田氏の後裔説が紹介されている。秀郷流藤原氏が好んで用いた紋が「巴」で、『寛永諸家系図』にみえる上総酒井氏も秀郷流藤原氏で「三ツ巴」であった。中世武家の紋章に対するこだわりは現代では想像できないほど強烈なもので、両酒井氏が用いる紋の共通点は、それぞれの酒井氏の出自における何事かを示唆しているように思われる。しかし、残念ながらそれを裏付ける史料はいまのところない。
 桓武平氏の家紋は「揚羽蝶」というのが定説だが、それは後世の作為であり、「月星」「三つ鱗」「三つ柏」など平氏を称する家の紋は多彩である。そのようななかで、「巴」紋を用いた平氏として、小早川氏・土肥氏・長尾氏・杉原氏らが知られるが、それら諸氏と丹波酒井氏との関係は見出せない。一説に、丹波酒井氏は尾張の千竈氏の後裔であるとの説があり、それによれば、上総酒井氏は丹波酒井氏から分かれでたという。他方、波多野氏流という酒井氏系図には「相模国大住郡酒井郷 左三つ巴」とあり、上総酒井氏のいう藤原秀郷流との関係がみえている。
 以上のように、丹波酒井氏は上総酒井氏との関係が濃厚であるといわざるをえない。戦国時代における丹波酒井氏は幕紋に「カコ」を用い、即断はできないが家紋には「巴」を用いていたとみられる。いま篠山市南部に広く住まわれている酒井家は、戦国酒井氏の家紋を現代に伝えているといっていいのではないだろうか。

■ 丹波酒井氏の主な使用紋
(左より) ・二つ巴 ・酢漿草 ・剣酢漿草 ・井桁


●丹波酒井氏/ ●上総酒井氏


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