相馬氏
九 曜
(桓武平氏千葉氏流)


 相馬氏は、桓武平氏千葉氏の一族である。千葉氏の家紋は妙見信仰から生まれた月星紋として有名なものである。伝承によればむかし平将門とともに兵を挙げた先祖の平良文が窮地に陥ったとき、空から星が降ってきて、それに力を得た良文は戦に勝利したことにちなむという。
 千葉氏は星と月を組み合わせた「月星紋」は嫡流が用い、庶流は「八曜」「九曜」「十曜」など「諸星紋」を家紋にしたという。『見聞諸家紋』には千葉氏の紋として「九曜」が載せられて「月星」の名が付けられている。また、『羽継原合戦記』にも「月に九曜」は千葉介とみえている。相馬氏も千葉氏の庶流の一つとして、「九曜」を家紋に用いるようになったのである。



【掲載家紋:月に九曜/月星/七曜】

 一方、相馬氏には「繋ぎ馬」なる勇ましい紋があった。
 江戸時代、荒馬を繋ぎとめた形の「繋ぎ馬」の紋は、平将門の紋であると広く信じられていた。平将門は関東で旗揚げし、謀反を起こした。しかし、関東では逆賊と思われていない。平安貴族が京都で安逸をむさぼっているために、義兵を挙げたということになっている。いわば東国の盟主である。天もこれを嘉し給うて、その謀を愛で、天から黒馬を下し、将門をはげました。しかし、この馬は、天与のもので普通の馬ではない。将門以外は乗ることができなかった。それで繋いでおくことにした。これが「繋ぎ馬」の由来である。
 将門十一代の孫を師常といい、下総国相馬を支配して、相馬氏を称し「繋ぎ馬」紋を用いた。千葉氏流相馬氏は、将門流相馬氏のあとを継いだものである。当然、「繋ぎ馬」紋も継承した。
 今日も「相馬野馬追い」として、相馬氏戦国の風が伝えられている。捕えられた荒馬は「勇力の輩相共に力を合わせ、これを捕え、柱を建て、これを繋ぐ。その馬手足を踏み立て、歯をかみ鳴らし、羈を解き、逃れんと欲するの勢い、その勇猛なり」(相馬古事秘要禄)と、まさに「繋ぎ馬」の家紋の様を実見することができる。
 相馬氏は、「九曜」「繋ぎ馬」のほかに「亀甲に花菱」紋も用いていた。これは、相馬氏発祥の地である下総国の位置の一宮である香取神宮を信仰したことから、その神紋である「亀甲」を家紋として用いるようになったのだ、と伝えている。




【掲載家紋:繋ぎ馬/亀甲に花菱】

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