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戦国山城を歩く
丹波八百里城に登る
戦国時代、波多野氏に属した畑氏が拠った八百里城。2006年の秋に訪れたときは「松茸」の季節であり、
「瓜田に履をいれず」ともあるように登城は断念した。ついで、2007年の春に再訪したときは登城の準備不足で
あったことから、これまた断念。そして、附近の地図と縄張り図を入手して、2008年の六月、ついに登城とあいなった。
麓に鎮座する社の横に立てられた朱の鳥居をくぐり抜け、山道を少し歩き、道ともいえない道をがむしゃらに登ると、
大きな石組みと朽ちた社に出た。あとで調べると、古墳の石室が露呈したところで、社は稲荷神社だという。
そこから、尾根伝いに登ると八百里城址に出るが、雑木が生い茂り、これまた骨の折れる道行きとなった。
城址には曲輪跡が続き、矢竹がいまに生い茂り、北方尾根とは大きな堀切で切られている。
旧多紀郡内では波多野氏の拠った八上城に次ぐ規模を持つ城址だけに、縄張りの広さには驚かされた。
城址から社まで降りてふりかえると、鎧を着込み、武器を持って城に籠った戦国武士の「ど根性」に圧倒される。
社から南を望むと波多野氏が拠った八上城が見える。以前に登城した細工所城、淀山城も含め、八上城を中心とした
ネットワークが構築されていたことが実感できる。
・城址遺構の残る八百里山を遠望
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山麓の案内板 ・城址を見上げる ・山麓の歓喜天を祀る祠 ・山腹のお稲荷さん ・城址への道
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曲輪に到着 ・生い茂る矢竹 ・北方の堀切 ・曲輪の切岸 ・篠山市街方向を遠望
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城址を振り返る ・八上城址を遠望 ・土居の内 ・土居の内-土塁と堀 ・八百里山を遠望
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八百里城をあとに、畑氏一族が屋敷とした土居の内を訪れる。
2006年に訪問したとき工事中であった住居も完成しており、改めて戦国土豪の暮らしぶりの一端を感じることができた。
遠くから土居の内を眺めると、その後方には八百里城址がその優雅な山容を見せていた。
おそらく戦国時代においても、そのままの情景が広がっていたのではなかろうか。
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[ 畑 氏
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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