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戦国山城を歩く
丹波の中世国人領主の雄、芦田氏が拠った─小室城
兵庫丹波で気になる名字の一つに、いま丹波市となった旧氷上郡に分布する
芦田(蘆田)がある。
そもそも丹波の芦田氏は系譜的には信濃源氏井上氏の一族で、
平安時代の末期に丹波に移住して土着、
赤井・荻野・大槻など中世の丹波に足跡を刻んだ諸氏が分かれ出たという。
その芦田氏が本城としたのが小室城(東芦田城)で、
標高519メートルを測る吼子尾山の頂上にある。
遺構は山頂の主郭を中心に尾根筋に小曲輪を階段状に設けた連郭式の縄張で、
高い山上にあることと併せて旧式の山城といえそうだ。
平安時代に築かれたたという説はともかくとして、
南北朝のころより改修の手が加えられ、戦国時代末期まで存続した。
城址へは山麓にある胎蔵寺傍より山道があり、
迷うことなく頂上の城址まで登ることができる。
丹波ではお馴染みの獣柵から山道に入ると両脇に旧胎蔵寺の堂宇址が連なり、
その数の多さと所々に残る見事な石垣群に往時の繁栄ぶりがうかがわれる。
芦田氏は一帯の領主として胎蔵寺にも強い影響力を及ぼし、
寺院を包括するかたちで居城を築いたものであろう。
・瑞雲寺より小室城址を遠望
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胎蔵寺山門と登り道 ・ 胎蔵寺の旧跡 ・ 尾根筋の土橋 ・ 堀切道 ・ 南尾根から青垣方面を眺望
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南尾根筋の大岩群 ・ 城域南端の堀切 ・ 曲輪が段状に続く ・ 南尾根曲輪を振り返る ・ 南より主郭を見る
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寺院址から尾根筋にいたると曲輪状の地形が連なり、
主曲輪群の南の尾根筋には大岩が散在、なかなかの要害である。
やがて南の堀切があらわれ、急斜面を登りきると南曲輪群を経て山頂の主郭へと続く。
主郭からの眺望は抜群で氷上方面が一望である。
主郭の北側にも曲輪が連なり、北尾根先とは城址最大の見所というべき
大堀切が切られている。
急峻の細尾根に築かれていることもあって、縄張は単純なものだが、
その規模、有する歴史は氷上郡屈指のものといって過言ではない存在である。
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主郭切岸と帯曲輪 ・ 主郭からの眺望 ・ 主郭北曲輪群 ・ 一部に残る石垣址 ・ 北尾根の大堀切
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ゆかりの史跡を訪ねる
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菩提寺−瑞雲寺 ・ 瑞雲寺境内の古墓 ・ 宝林寺の祖父祖父堂 ・ ゆかりの明勝寺 ・ 明勝寺境内の上野介光信の墓
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下山したのち、芦田氏が丹波に入部したはじめに築いたという栗住城に登る。
栗住城址は規模も小さく、主郭部に祀られている稲荷神社の存在あって
小室城を詰めの城とした居館址というべたたずまいだ。
栗住城を戦国山城として印象づけるのは、神社後方に続く尾根に切られた堀切で、
他にも横堀状の帯曲輪、竪堀など山城としてのパーツはよく残っている。
神社建立のときに土塁・切岸など城址遺構の破壊はあったとようだが、
全体としては往時の姿をとどめているようにみえた。
小室城、栗住城のある氷上と青垣の境目あたりは、
芦田氏の菩提寺で小室城主芦田金猶の墓がある瑞雲寺、
金猶を祀った若宮がある高座神社、さらに芦名氏の直系が拠ったという
栗住野城などなど芦田氏ゆかりの寺社・旧跡が散在、
中世丹波における芦田氏の勢力のほどがうかがわれるところだ。
また、界隈にあるお寺、墓地を訪ねると芦田姓の墓石があり、
家紋はと見れば「尻合せ三つ雁」と「二つ引両」紋であった。
・芦田氏の墓石に刻まれた「尻合せ三つ雁」紋
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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