家名存続の難しさ

近世大名として生き残った戦国大名家はほんの一握りだった。


 戦国時代は幾多の名将が輩出した。伊達稙宗・政宗、上杉謙信、武田信玄、北条早雲・氏康、今川義元、斎藤道三、織田信長、朝倉孝景、六角義賢、三好長慶、尼子経久、毛利元就、大内義隆、長宗我部元親、龍造寺隆信、大友宗麟、島津義久などはその代表であろう。しかし、戦国の名将といえども、動乱の時代を生き抜いて家名を後世に存続させることは、容易なことではなかった。
 先にあげた十七家のうちで、嫡男の子孫が近世大名として幕末まで存続しえたのは、伊達、上杉、毛利、島津のわずか四家にすぎないのである。
 戦国大名家とよばれる家は百四十六家(日本史総覧:新人物往来社)とされているが、そのなかで庶流を含めて幕末まで大名として家名を残したのは三十三家であった(別表参照)。戦国大名中のわずか二割しか近世大名として残らなかったことになる。さらに戦国大名より古い守護大名の系譜をひくものは、佐竹、小笠原、京極、島津、宗の五家にしかすぎないことである。
 地域別にみると、九州と東北で五割を越えている。これに対して畿内ではゼロ、畿内周辺でも京極とあえてあげれば朽木の二家だけである。しかも、この二家はいったん家名断絶の危機を経験している。畿内およびその周辺は、中央の権力闘争の渦中にあり、変動に対応できずに没落する家が多かった。それに比べて辺境地域では、中央の影響は直接的ではなく、勢力交替も概してゆっくりであったために家名がのころものが多かったといえよう。
 また、表中の約六割の家が減封のうえに本領からの転封といった処置を織豊政権や江戸幕府から命じられている。つまり、名将のみならず、一般の戦国大名といえども家名を残し、所領を維持していくことはまことに困難だったのである。
 また、戦国時代、織豊時代を生き抜いた大名たちにとって、江戸時代に生き残るために最も大きな試練となったのが関ヶ原の戦いであった。関ヶ原の戦いの当時、大名とよばれる者は二百二十四名だった(徳川幕下の譜代大名三十四名は除く)。そのなかの九十八名は関ヶ原の戦いの結果、討死・処刑・自害して改易となったり、いったんは改易となって家は滅んでいるのである。まさしく関ヶ原の戦いは、天下分け目の合戦であり、大名たちの興廃を決した戦いだったといえよう。
 しかし、関ヶ原の戦いの勝者であった家康側、いわゆる東軍に属した大名八十五名の中でも、江戸時代を生き抜いて幕末まで生き残ったのは四十三家であり、その他の家は途中で滅亡している。つまり、勝者の東軍に属したとという条件だけでは、約半数のものしか行き残れなかったこととなる。
 まさに大名として、戦国時代、織豊時代、江戸時代を通じて家名を存続させることは、至難のことであったといえよう。
【別冊歴史読本35/蒲生真紗雄氏稿から引用】

■戦国大名のうち近世大名として家名を残すことのできた家

戦国大名 本拠地 江戸時代 付記
松前氏 蝦夷松前 福山 3万石
南部氏 陸奥八戸 盛岡20万石
津軽氏 陸奥大浦 弘前10万石
伊達氏 陸奥西山→出羽米沢 仙台62万石
相馬氏 陸奥小高 中村 6万石
岩城氏 陸奥岩城平 出羽亀田2万石 減転(貞隆の時改易、のち再興)
秋田氏 出羽秋田 陸奥三春5万石 減転
戸沢氏 出羽角館 出羽新庄7万石 転封
佐竹氏 常陸太田 秋田21万石 減転
那須氏 下野烏山 那須 2万石
大関 下野黒羽 黒羽1.8万石
大田原氏 下野大田原 大田原1.14万石
太田氏 武蔵岩槻 遠江掛川5万石 転封(一族の江戸太田氏が再興)
北条氏 相模小田原 河内狭山1.1万石 減転(氏康の四男氏規の系統が再興)
松平氏 三河岡崎 徳川将軍家 転封
織田氏 尾張那古野 出羽天童2万石 減転
小笠原氏 信濃深志 豊前小倉15万石 転封
真田氏 信濃上田 松代10万石
諏訪氏 信濃諏訪 高島 3万石 (頼重の従弟が再興)
上杉氏(長尾氏) 越後春日山 出羽米沢18万石 減転
京極氏 近江上平寺 讃岐丸亀5万石 減転
朽木氏 近江朽木 丹波福知山3万石 転封(元綱三男・稙綱が再興)
毛利氏 安芸吉田 長門萩37万石 減転
吉川氏 安芸大朝 周防岩国6万石 減転(毛利氏家臣の扱い)
立花氏 筑前立花 筑後柳河11万石 減転(宗茂の時改易、のち再興)
秋月氏 筑前秋月 日向高鍋3万石 転封
松浦氏 肥前平戸 平戸 6万石
有馬氏 肥前日野江 越前丸岡3万石 転封
大村氏 肥前大村 大村 3万石
相良氏 肥後人吉 人吉2.2万石
伊東氏 日向飫肥 飫肥 5万石 (祐兵の時再興)
島津氏 薩摩鹿児島 薩摩73万石
宗 氏 対馬府中 対馬10万石格
・黄色の大名家は守護大名の系譜を引く家 ・江戸時代の藩名と石高は幕末時点のもの




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