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織田氏の系譜考察


 織田信長に代表される戦国大名−織田氏が越前国丹生郡織田荘を本貫とする豪族から起こったことは、大体の学者の一致する見解となっている。
 松原信之氏は「明徳四年(1393)六月十七日、織田劔神社に納められた藤原信昌・同兵庫助将広父子の置文が劔神社に 伝来するが、「兵庫助」の官名や信昌・将広の「信」「広」の諱などは、その後の尾張織田氏との関連を 充分に納得させるものである」、また天正元年の信長による越前平定後に、家臣木下祐久が劔神社に出した書状には 「おのおの存知の如く、織田寺の御事は、殿様の御氏神について、わけて御念を入れられ、御朱印を遣わされ候条 (以下略)」とあり、織田信長の祖先は越前国織田荘から起こったことはまず間違いないようだ。
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・写真 : 越前国ニの宮−劔神社 拝殿・本殿 (劔神社さまHPより転載)

尾張へ移住

 織田氏が仕えた越前守護斯波氏、尾張守護職を兼帯するようになったのは、応永七年(1400)ごろのことで、それがきっかけとなって織田氏は尾張に移住、応永九年「沙弥常竹」、翌十年には尾張守護代として「伊勢入道」らの名があらわれる。その後、織田教長・淳広、ついで久広。宝徳三年(1451)ごろから織田郷広・敏広父子が守護代をつとめていたようだ。淳広、郷広・敏広らの諱はいずれも斯波氏から賜ったものであり、織田氏が斯波氏家中において重要な位置を占めていたことがわかる。やがて、斯波氏の家督をめぐる内訌が起こり、それが応仁の乱を引き起こす一因となった。
 乱が終わったのち、斯波氏の威勢は失墜、越前では被官朝倉氏が斯波氏に代わって守護職に任じられ、尾張では斯波氏の内訌をめぐって織田氏が一族で争うようになった。そして、『信長公記』に「去程に尾張国八郡也。上之郡四郡、織田伊勢守諸将手に付、進退して岩倉と云処に居城也、半国下郡四郡、織田大和守下知に随へ、上下川を隔、清洲の城に武衛様(守護斯波氏)を置中、大和守も城中に候て守立申候」ということになった。かくして、岩倉は伊勢守の居城のある所として、大和守の清洲とともに尾張支配の中心となっていった。そして、岩倉織田氏の奉行の一人として織田信秀が頭角をあらわしてくるのであった。

解けない謎

 越前時代はともかくとして、織田氏が尾張に移り住んだのちの足跡をたどっていけば、その系譜もあらあらと見えてくるようにおもわれるが実際は混沌をきわめたものとなっている。そこらへんのことについて、『清洲町史』の「織田系譜に関する覚書(新井喜久夫氏)」には、
 「織田系譜に信頼しうるものがないことは周知の事実である。それは現存系図のすべてが、信長時代以降に編まれたことに起因するのだろう。すんわち信長の家系は織田本宗ではなく傍流に属するため、守護代家織田の家系が正しく伝えられていないこと、さらに織田の家系がはやく清洲と岩倉の二派に分かれて対立しており、現存の織田系図は、岩倉流の系図を失ったのち、清洲派をもって清洲・岩倉系譜をつくりあげているため、かなり混乱を生じている。このような事情から、田中義成氏によって古文書・古記録による織田系譜復原が提唱されて以来、『名古屋市史』『愛知県史』をはじめ、重松明久氏、奥野高広氏、横山住雄氏らによる復原作業が行なわれ、かなりの成果を挙げてはいるが、なおその系譜復原の道は遠いといわざるをえない。(岩倉町史より転載)」
 結論として、織田氏系図の復原は困難な作業というしかなく、今後よほどの新発見がない限り 真実の系譜を明らかにすることはできないようだ。


●織田氏系図を見る

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■ 織田系図-1
前野文書を元に作成された「尾州織田興亡史 :瀧 喜義氏著」掲載系図

織田系図-1
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UP ■ 織田系図-2
もっとも流布した平姓系図 : 「戦国大名系譜総覧掲載系図 :新人物往来社刊」を底本に作成
織田系図-2 .
UP ■ 織田系図-3
「古代氏族系譜集成 : 宝賀 寿男氏編」に収録された斎部氏系図に含まれた織田氏系図
織田系図-3
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【参考】 岩倉町史 新井 喜久夫: 南山大学名誉教授・ 【著書】愛知県の歴史・織田信長辞典 など 松原 信之: 福井県郷土史家・ 【著書】越前朝倉氏の研究・越前朝倉一族・朝倉義景のすべて など 田中 義成: 東京帝国大学教授 /国史学者・ 【著書】南北朝時代史・足利時代史・織田時代史 など・ 大正八年(1919)没 重松 明久: 日本文化史の研究者・ 【著書】中世真宗思想の研究・蓮如と越前一向一揆 など・ 平成元年(1989)没 奥野 高広: 戦国時代史を専門とし、織豊政権研究に功績・ 【著書】戦国時代・織田信長文書の研究・信長と秀吉 など ・平成十二年(2000)没 横山住雄: 濃尾歴史文化研究所主宰 /信長資料集編集委員会・ 【著書】織田信長の系譜・美濃の土岐・斎藤氏 など



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