秋田(安東)氏
檜扇に鷲の羽
(安倍貞任の後裔か?)


 秋田氏の家紋は、「檜扇に違い鷲の羽」である。鷹の羽を家紋とした武家は多いが、鷲の羽を家紋に用いたのは秋田氏のみである。
 『藩翰譜』によれば、鎌倉時代はじめの建久年間(1190〜)、安東貞季が召されてはるばる上洛した。そのとき、後鳥羽天皇から、美しい檜扇を賜った。たまたま高麗から、大鷲の献上があったときで、天皇は記念にと「鷲の羽二枚を檜扇にのせて下し給う、弓矢取りての面目、何事かこれにしかん」と、それを記念して自家の紋にしたのだとある。これが「檜扇に違い鷲の羽」の由来だが、おそらく後世の創作であろう。  一方、秋田氏は古くより「獅子に牡丹紋」を用いていた。牡丹は百花の女王であり、獅子は百獣の王である。のちに「獅子に牡丹紋」は、「檜扇に違い鷲の羽」の替紋として使われた。
 牡丹紋は近衛家の紋として知られ、牡丹紋を用いる家はほとんどが近衛家との関係から牡丹紋を用いている。たとえば、伊達・島津・津軽の諸氏である。牡丹と獅子はいずれも高貴のシルシであり、さらに優雅な檜扇といい、秋田氏の家紋はいずれもまことに豪華な家紋といえよう。
 もっとも、秋田氏の牡丹紋は近衛家との関係はないようだ。「獅子に牡丹紋」は、摂津源氏の中川・多田の両氏が用い、『見聞諸家紋』にも一族の田能村・佐分氏らのものが記されている。摂津源氏は近衛氏との関係はなく、もともと「獅子に牡丹」を用いており、のちに獅子を略し「牡丹」だけを家紋とした家もある。そのほか、中世の武家で「獅子に牡丹」を家紋としたものは多い。
 秋田氏も摂津源氏一族も、牡丹が百花の王なら獅子は百獣の王で、武家としての武威を表現したものであろうと思われる。そういう意味では、「獅子に牡丹紋」と本来の「牡丹紋」とは家紋として区別されなければならないのかもしれない。





【掲載家紋:獅子に牡丹/近衛牡丹/獅子に牡丹(見聞諸家紋のもの)】


■秋田氏


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