西暦 | 年号 | 事件 |
1156 | 保元元年 | 保元の乱。崇徳上皇敗れて、讃岐に配流。 |
1159 | 平治元年 | 平治の乱。藤原信頼、源義朝敗れる。 |
1160 | 二年 | 源義朝、尾張で没。源頼朝伊豆に流される。 |
1167 | 仁安二年 | 平清盛、武臣として初めて太政大臣となる。 |
1179 | 治承三年 | 清盛、院政を停止し後白河法皇を鳥羽院に幽閉する。 |
1180 | 四年 | 以仁王の令旨、源頼政挙兵。清盛福原遷都。 源頼朝挙兵、石橋山の合戦(8月)。源義仲挙兵(9月)。頼朝鎌倉入り、富士川の合戦。頼朝、和田義盛を別当として侍所を設置。 |
1181 | 養和元年 | 平清盛没。 |
1184 | 寿永三年 | 源義仲、源範頼・義経に敗れて敗死。二月、一の谷の合戦。頼朝、大江広元を別当に公文所、三善康信を執事に問注所をおく。 |
1185 | 文治元年 | 屋島の戦い(2月)。三月、壇ノ浦の戦で平氏滅亡。諸国に守護・地頭設置の勅許、兵糧米の徴収を勅許。 |
1189 | 五年 | 藤原泰衡源義経を殺害。七月、頼朝奥州征伐出発、九月泰衡を討つ。 |
1190 | 建久元年 | 11月、頼朝上洛して参内、後白河法皇と会見。 |
1191 | 二年 | 公文所を政所と改称する。 |
1192 | 三年 | 後白河法皇没。七月、頼朝征夷大将軍に就任。 鎌倉幕府の成立。 |
1193 | 四年 | 守護・地頭職の確立。 |
1196 | 七年 | 九条兼実が関白を追われ、九条家一門失脚、源通親が朝廷の実権を握る。 |
1199 | 正治元年 | 一月、源頼朝没、頼家が家督を相続。四月、頼家独裁をやめ、北条時政ら13人の合議制となる。 |
1203 | 建仁三年 | 頼家、病のため地頭職等を子一幡と弟千幡(実朝)に譲る。九月、実朝が将軍に就任、頼家は伊豆修善寺に幽閉される(翌年、暗殺される)。北条時政、執権に就任。 |
1205 | 元久二年 | 北条義時、執権に就任。 |
1219 | 承久元年 | 源実朝、公暁に殺される。義時、公暁を殺し源氏の嫡流断絶。九条道家の子頼経が鎌倉に下りる。 執権政治の確立。 |
1221 | 三年 | 五月、承久の乱 起こる。 乱に勝利した鎌倉政権は京に六波羅探題を置く。七月、後鳥羽上皇を隠岐、順徳上皇を佐渡に配流。十月、土御門上皇を土佐に配流。 |
1224 | 元仁元年 | 北条泰時、執権に就任。 |
1225 | 嘉禄元年 | 六月、大江広元没。七月、北条政子没。北条時房、初めて連署となる。12月、評定衆を設置。 |
1226 | 二年 | 藤原頼経、将軍に就任。 |
1232 | 貞永元年 | 御成敗式目(貞永式目)制定。 |
1247 | 宝治元年 | 宝治合戦 起こる。敗れた三浦氏は滅亡する。 |
1249 | 建長元年 | 幕府、引付衆をおく。 |
1252 | 四年 | 宗尊親王、将軍となる(親王将軍の初め)。 |
1267 | 文永四年 | 九月、高麗使節、モンゴルの国書をもって来日。 |
1268 | 五年 | 一月、モンゴル使節、大宰府に来着。北条時宗、高麗使を返す。 |
1269 | 六年 | モンゴル使、返書を要求。 |
1271 | 八年 | 鎮西に所領のある御家人を下国させ、海防にあてる。モンゴル使節筑前今津に来着。 |
1274 | 十一年 | 十月、文永の役。 大風雨により、元・高麗軍撤退。 |
1275 | 建治元年 | 幕府、元使を斬殺。 |
1276 | 二年 | 幕府、博多付近の海岸に石塁を築かせる。 |
1279 | 弘安二年 | 幕府、元使を博多で斬殺。 |
1281 | 四年 | 七月、弘安の役。 大風雨により、元・高麗軍撤退。 |
1284 | 七年 | 北条時宗没。
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