笹竜胆紋



Contents
●鎌倉の主-征夷大将軍
●鎌倉幕府の執権-北条氏
●鎌倉武家政権を担った武将家
(45家)
●武将家割拠地図
●源平時代から鎌倉幕府へ
(年表)
●抗争の鎌倉府-北条氏の謀略
●鎌倉武士のユニット-惣領制
●リアリズムの鎌倉-新文化の勃興
●鎌倉の権力者-執権抄伝
●北条氏の宿敵-三浦一族
●鎌倉の鎮守-鶴岡八幡宮

系図は、尊卑分脈を基本として、系図綜覧・古代豪族系図集覧・戦国大名系譜人名事典・ 歴史読本-戦国大名系譜総覧・日本史小百科-家系、その他出版物のものを参考にして作成しました。
[家伝資料:前記に同じ]
ヘッダイメージ




鎌倉武士─割拠地図




源平の争乱と平氏の滅亡編
西暦1180〜85年頃

平氏政権は地方武士の利害を十分に代表していなかったので、源頼朝・木曽義仲らの挙兵によって、もろくも崩れてしまった。

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鎌倉時代編
西暦1195年頃

鎌倉幕府は文治元年(1185)守護・地頭の設置によって全国の軍事警察権を掌握した。守護には有力御家人を補任したが、はじめは異動がはげしく、その職は世襲されるものではなかった。

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●東日本の武将
●中部日本の武将
●西日本の武将
 

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