白石嬉野氏
丸に一文字
(河野氏流?)
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嬉野氏は宇礼志野とも記し、杵島郡の白石氏から分かれたとされている。『白石系図』によれば、肥前総追補使に任じられた日向太郎通良と子の通秀・親良・親秀らは、平清盛のために叛逆人となり、討ち取られてしまった。難を逃れた通益は高来郡に下り、文治三年(1187)、杵島郡白石郷の地頭職に任じられた。そして、地名にちなんで白石五郎を称し、須古の高岳に城を築いて本拠としたのであった。
『肥前旧事』によれば、通益から六代の白石六郎通氏(通泰)の子息(通秀か)は、弘安四年(1281)の「弘安の役」の勲功賞として神埼庄内に知行を配分されている。また、『蒙古襲来絵詞』には、白石六郎通泰(通恭)が元軍と戦っている様子が描かれている。蒙古襲来に際しての白石通泰の高名は全軍に鳴り響き、戦後、功により藤津郡内に数カ所の地を給わった。この藤津郡は嬉野地方のことでもある。
中世の争乱
南北朝時代になると、菊池氏らとともに南朝方に属して活躍した。建武元年(1334)通頼は三百余騎を率いて上洛し、後醍醐天皇に拝謁し、父通直が鎮西探題を討伐したときの功により、神埼村十七分壱の地を恩賞として給わっている。さらに、翌二年には白石郷伊ケ代村を給わった。正平五年(1350)には、通家が子の通臣とともに菊池武重の要請をいれて出陣した。ところが、その留守中に探題一色氏と渋江公経の軍が本拠である妻山城を急襲、留守を守っていた通頼が抗戦したものの戦死した。
ところで、白石氏が居城とした妻山城をめぐる合戦は前後三回にわたって行われ、はじめは建武二年で一色氏と少弐氏が攻めよせてきたもので、つぎが正平五年の戦いで、通頼が激戦のすえに戦死したものである。そして、三度目が天授二年(1376)で、探題今川了俊が深堀氏、安富氏らを指揮して通臣が守る稲佐城を襲撃し、ついで妻木城に押し寄せ激戦の結果、白石は敗れ通家・通臣父子は戦死した。
かくして南朝方として活躍した白石氏は、逼塞を余儀なくされた。そして、系図によれば通臣の子通治(通晴)がはじめて「宇礼志野」を称し、通晴は稲佐城に拠った。
戦国時代の通久の代になって稲佐城より、さらに要害堅固な嬉野の湯野田城に移った。しかし、通久の拠ったのは『越後入道宗佐伝』によれば、日守城とある。通久の当時、湯野田城はまだ小規模な城であり、日守城であったとする説が妥当であろうと思われる。
戦国時代と嬉野氏
戦国時代における杵島郡の有力者は有馬氏で、宇礼志野氏も有馬氏に属していた。やがて、龍造寺氏の台頭により、有馬晴純は杵島郡からの撤退を余儀なくされた。これをみた塚崎の後藤貴明は、藤津郡内の一味を誘って通久の守る日守城を攻撃してきた。対する通久は日守城の要害をもって後藤勢の撃退に成功した。この通久の活躍に有馬晴純は、五百三十町の地を与えて功を賞し、湯野田城主としたのである。加えて、宇礼志野の姓では長すぎるため嬉野に改めさせたという。
このように嬉野氏は通久は有馬氏から篤い信頼を得たが、晩年に至って有馬氏から離脱した。その理由は天正元年(1573)、後藤貴明が養子惟明の謀叛に敗れた。このとき、藤津の一党は貴明を離れて有馬氏に帰順した。これを喜んだ晴純は嬉野通久に与えていた領地を割いて、帰順してきた藤津一党に与えたのであった。武士にとって所領はかけがえのかいものであり、この晴純の行為に怒った通久は密かに貴明に通じたのである。
その後、龍造寺隆信が台頭してくると、通久は使者を隆信のもとに送り、龍造寺の麾下に参陣したい。そして、隆信が藤津に兵を出す時は先鋒を賜りたいとの密約を交わしている。しかし、通久は隆信の藤津侵攻の前に湯野田城内で病没したようだ。通久の嫡子の直通は後藤貴明との戦いで戦死していたため、嬉野氏の家督は嫡孫の通直が継いだ。通直は「朝鮮の役」に出陣し、弟の通清とともに戦死したため、嬉野氏は通直の嫡子盛通が継いだ。
嬉野氏の出自異説
ところで、嬉野氏の出自に関して大村藩の『新撰士系禄』によれば、もと伊予の住人河野高橋前司霊為が、天慶の乱後に越智姓を名乗り、正暦五年(994)に大村直澄に陪従した七氏のうちの一人であるとしている。また、『深堀文書』によれば、古代氏族の一である日奉姓とみえている。
諸説あるものの、嬉野氏ははじめ河野姓で、戦国時代の天文年間(1532〜54)に嬉野刑部大輔が、嬉野・鹿島を領して嬉野を称したことに始まるというのがうなづけるものといえよう。ちなみに『姓氏家系大辞典』には、河野中興の祖嬉野刑部は浅浦に城を築き、天文年間に龍造寺隆信と合戦を繰り返したが、力尽きて戦死したとある。
【参考資料:佐賀の戦国人名志・白石町史・肥前国誌 など】
■参考略系図
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