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都甲氏
●三つ巴
●大蔵氏流
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豊後国国東半島の都甲荘は、平安時代、源経俊が開発したといわれる。そして、経俊の婿に山香郷司の大神氏から出た貞門が入り、都甲氏を名乗って都甲荘の地頭となった。いわば、大友氏が豊後に入る以前からの土着勢力であった。そして、鎌倉時代の嘉禎四年(1238)に幕府から地頭職を安堵されている。
鎌倉期、都甲氏の活躍
文永十一年(1274)十月、蒙古が壱岐・対馬に襲来した。この事態に対して幕府は大友一族をはじめ、豊後の地頭らに出動を命じた。戸次・志賀らの大友一族、日田永基、真玉惟親、都甲惟親らの豊後の武士は大友頼泰の指揮下に入って蒙古軍を迎え撃った。
日本軍の総指揮は、鎮西西方奉行の少弐経資と鎮西東方奉行の大友頼泰がとった。蒙古軍に対する少弐一族の奮戦は目覚ましかったが、大友頼泰の方はかんばしい戦果は残していない。実際、大友氏の戦い振りは消極的であったようで、戦後、幕府からも厳しい訓戒の書状を出されている。しかし、豊後勢のなかで個人的に奮戦した武士も少なくなく、日田永基が姪の浜、百路原の合戦で、都甲惟親が鳥飼浜の合戦で活躍、それぞれ軍功を賞されている。
蒙古襲来は大風によって、蒙古軍が引き上げたことで文永の役は日本側の勝利となった。しかし、それから十年もたたない弘安四年(1281)五月、蒙古軍はふたたび博多湾に姿を現した。この蒙古再来に際して、豊後からは大友頼泰・親時・貞親の大友三代をはじめ、詫摩・志賀・田原の大友一族、日田永資・野上資直・帆足道員、そして都甲惟親・惟遠父子らが出陣した。そして、蒙古との戦いで、都甲惟親・惟遠は鷹島まで蒙古軍を追撃し軍功を挙げている。
蒙古の襲来は希有の国難であり、幕府はよく後家人らを統率し、天佑もあって蒙古を撃退することができた。元冦の役に活躍した御家人らは恩賞を期待したが、勝利したとはいえ、外敵を退けたものであり、土地が増えるというものではなかった。幕府は御家人に対する恩賞沙汰に苦慮し、一方の御家人らは幕府に対する信頼を失っていった。元冦が鎌倉幕府滅亡の一因といわれる所以である。
争乱期の都甲氏
元弘・建武の争乱を経て、南北朝時代になると、都甲惟世とその子惟孝や兄弟の又四郎惟種、一族の惟元、三郎四郎、新左衛門尉らが大友氏や田原氏に従って各地を転戦し、北朝方として活躍したことが知られる。
都甲惟世は、延元元年(1336)、一族とともに尊氏の軍に加わり、尊氏の御教書により玖珠郡の大友貞順を攻めている。貞順は大友一族ながら、家督相続への不満から南朝方に走ったもので、都甲氏らは九州探題一色氏の指揮下で妙見城攻めを行った。その後も都甲氏一族は、探題一色氏、あるいは武家方の大友氏に属して行動した。
九州は西征将軍懐良親王と菊池氏によって南朝方の勢力が強く、探題一色氏が菊池氏に敗れて九州から逃れると、斯波氏、ついで渋川氏らを探題として送った。しかし、九州における南朝方の優位は崩れなかった。事態を憂慮した幕府は、今川了俊(貞世)を探題に起用し、南朝方に対峙させたのである。都甲惟光は了俊に属し、天授二年(1376)豊前国高家の戦いで負傷、惟光は了俊から感状を受け、さらに幕府管領細川頼之からも感状を受けている。
その後、都甲氏の活動は『都甲文書』などから、新左衛門・新四郎らが了俊に従って活躍したことが知られる。明徳三年(1392)、南北朝合一がなり室町時代になると都甲氏の動向は次第に不鮮明となり、史料上からも姿を消すようになる。とはいえ、守護大名として支配を強化していく大友氏に仕えて、それなりの勢力を維持し戦国時代に至ったようだ。
その後の都甲氏
戦国時代の九州は、大友氏と大内氏が北九州の地をめぐって覇を競った。天文三年(1534)、大内義隆が兵を北九州に入れ、これを大友義鑑が迎え撃った。両軍は勢場ケ原で激突し、緒戦は大友方の大将吉弘氏直と副将の寒田三河守を討ち取った大内方が優勢であったが、大友別働隊が戦場に到着したことで、結局、大内方の敗退となった。
この「勢場ケ原の戦い」に都甲伊豆守惟秀が、田北・田原・木付・長野・野原氏らとともに出陣したことが知られる。大友氏に属して戦国時代に至った都甲氏ではあったが、南北朝期のころの活躍ぶりに比して、まことに寂しいものであった。
江戸時代の肥後細川藩の『分限帳』を見ると、都甲氏の名があり、都甲氏は細川藩士となっていたことが知られる。都甲氏は戦乱のなかを生き抜き、平安以来の家系を後世に伝えたのである。・2005年6月17日
【参考資料:豊後高田市史 ほか】
■参考略系図
・南北朝期以後、戦国時代に至る都甲氏の系図は不詳。
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