小河氏
十二日足
(藤原氏流菊池氏支流)
*龍造寺氏から賜ったという。
それ以前は、菊池氏と同じ鷹羽紋であったと思われる。 |
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小河氏は肥後国守護菊池氏の分かれで、菊池為安の子為純が筑後国山門郡上小河下永河を知行し、小河に住して小河を称したことに始まる。
為純の子信安は竜造寺氏の忠臣として知られる。初め武純と称し、のちに信安と改めた。信安は竜造寺隆信が妻室と睦まじくないことを憂い、一日夫人を訊ねて、諌め遂にこれを直した。また、神代勝利と隆信の和もとりもった。さらに、永禄元年(1558)、春日山の古城を修理して山内攻めの拠点ともしている。はじめ、水町信秀が守ったが、のちに信安は一族の但馬守・石見守らを置いた。
このころ、龍造寺隆信は、家督を相続したのち、少弐氏与党の小田・筑紫・横岳・犬塚・綾部らの国人領主たちをつぎつぎに降し、永禄二年(1559)には、旧主にあたる少弐冬尚を攻め滅ぼすなど、肥前国内平定を押し進めていった。
少弐氏の旧臣である山内領主神代勝利は、主家少弐氏が龍造寺隆信によって滅ぼされたあとも、隆信に屈せず、かれと互角に戦った。弘治元年(1555)二月、龍造寺隆信は、山内を攻略できず、勝利と一時休戦して和議を結んだ。
しかし、隆信は、計略をめぐらせて勝利を討とうとしたが、勝利は、神出鬼没の行動で、山内の城を転々とし、隆信方の目をくらましていた。隆信は間者を用いて辛抱よく山内の情報を集め、勝利が谷川にいることを突き止めると、密かに大軍をもって攻め上り、谷川城を急襲した。勝利はかなわず、前の高祖城主原田隆種を頼って落ちていった。
信安の奮戦、討死
勝利は、山内復帰の機会を狙って密かに味方を集め、弘治二年(1556)の暮、山越し、翌三年の正月、年始で油断していた隆信配下の熊の川代官館を攻めて、代官以下を討ちとって山内に復帰した。しかし、龍造寺の勇将小河筑後守信安が守る春日山城は、山内に対し防備を固めて敵襲に備えていたため落とすことはできなかった。
信安は、勝利を討つための計略をめぐらせていた。ある日、信安は勝利が千布城にいることを知ると、一人で闇にまぎれて忍び込み、勝利の寝所近くに潜んでいた。この夜勝利は家臣たちと酒盛りをしてたが、下働きの女がたまたま信安を発見、驚いて勝利に知らせた。勝利は少しも騒がず、近習の者を信安の潜んでいる場所へ呼びにやった。信安は悪びれずに出てきて挨拶し、酒盛りの席に加わった。勝利は信安の悠然たる態度に感じ入り、酒肴をすすめて彼をもてなして帰したという。
その後、勝利は春日山城を攻め落とした。城将小河信安はこのとき、佐賀にいたので弟左近大輔が城兵を指揮して戦ったが、神代勢に討たれ、残兵は佐賀をさして逃れた。弘治三年十月、勝利と信安は、春日山城から六キロ北の鉄布峠で遭遇した。信安は弟左近大輔の弔合戦とばかりに、龍造寺軍を率いて出陣し、この日、自ら敵状視察のため、神代領に足を入れたのであった。それを、勝利は忍びの者の通報で知り、山内の軍勢三千を二手に分け、嫡子長良に一手をさずけ、自ら一手を率いて敵の進路に向かった。
勝利は、龍造寺軍の動きを自ら斥候に出たが、峰の細道を登ってきた信安と山中でばったり出会った。勝利は信安の名乗りをあげ、信安もそれに応じた。そして互いに鑓をとって突き合った。そのうち勝利は腕を突かれたが、ひるまず突き返した。信安はこれを受け損じ、頬より右にかけて鑓先に貫かれ、倒れたところを勝利の従者に首をかかれた。
鍋島藩士として近世へ
これを聞いた隆信は大いに悔やみ、鄭重に弔い、弟にその跡を継がせた。これが小河信友で、のちの信俊である。その後、信俊は天正十二年(1585)の島原合戦において戦死した。ところで、信俊は鍋島信昌の弟ともいう。
信安のあとを継いだ信俊も隆信に従って数々の戦功を挙げ、河上の合戦では神代勝利と戦い龍造寺軍を勝利に導き信安の仇を晴らしている。さらに、須古城の平井経治攻め、藤津の横沢城、彼杵の大村純忠、諌早の西郷純堯攻めなどに出陣、天正八年(1580)には、蒲池鎮並を与賀の馬場で討ちとる軍功をあらわしている。天正十二年、龍造寺隆信は有馬攻めを行い、有馬氏を支援する島津。有馬連合軍と沖田畷で戦い、まさかの敗戦を喫した。この戦いに信俊は旗本の侍大将として出陣、隆信の先払いをして隆信とともに戦死した。
信俊には家俊と家久の二人の男子があった。兄弟は、龍造寺氏に代わって朝鮮に出陣した鍋島直茂に従い、朝鮮半島に出陣した。そして、兄弟ともに朝鮮の陣中において病死した。まことに、小川氏の代々は、戦場において命を失う者が続いた。
兄弟が死んだのち、小川氏の家系が絶えることを惜しんだ鍋島直茂は、二男の忠茂に小川を名乗らせて家督を継がせた。子孫は、鍋島藩士として近世に続いたことが知られる。
■参考略系図
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