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浅井三代−合戦記
数多の合戦を戦い抜いて浅井氏は江北の覇者となった
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亮政の戦い
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尾上城の戦い |
大永三年(1523)三月
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浅見貞則・浅井亮政・三田村・堀・今井など × 京極高清・上坂信光
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大永元年、内訌を克服したのちの京極氏を支えた老臣上坂家信が世を去った。そのあとは子の信光が継いで京極高清の執政となったが、権勢をかさに専横な振る舞いの多い信光は国人領主ら京極氏被官の信望を集めることができず、反上坂の動きが高まっていった。そのような情勢下の大永三年、浅井郡草野郷にあった大吉寺の塔頭梅本坊で公事が行なわれた。その公事とは高清のあとをめぐる相続人を決めるものだったようで、当時、高清は嫡男の高延をさしおいて、二男の高慶を後継者に据えようとし、それを執政の信光が後押ししていた。
高慶が家督になるとさらに信光の権勢が高まることを嫌った、浅井亮政ら国人らは尾上城の浅見貞則を盟主にして一揆を結ぶと尾上城に立て籠もった。これに対して高清・信光らは今井城を拠点に尾上城を攻めようとして安養寺に兵を配したところを国人衆が攻撃、上坂勢を破った一揆勢は休まず今井城に攻め寄せた。ここでも敗れた高清・信光らは、刈安尾城に逃れ、さらに高慶を伴って尾張へと脱出した。国人衆は刈安尾城を落とすと、残っていた高延を擁して浅見氏の居城尾上城へと引き上げた。この戦いによって江北では国人衆の力が京極氏を凌ぐようになり、浅井亮政が台頭するきっかけとなったのである。
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小谷城の戦い |
大永五年(1525)七月
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浅井亮政・京極高清 × 六角定頼
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尾上城の戦いで京極高清・高慶父子、上坂信光をおって、新たな当主として高延を尾上城に迎えた国人一揆の盟主浅見貞則が権勢を振るうようになった。これに不満を抱いた国人らは、浅見氏打倒を策謀するようになった。浅井亮政はたくみに国人衆を糾合すると、先に対立した上坂信光と和睦、高清を江北に迎えると小谷城に拠った。他方、打ち続く江北の混乱をにらんでいた江南観音寺城主の六角定頼は、にわかに出頭した浅井亮政の力が強まることを警戒し、軍備を整えると自ら兵を率いて江北に出陣した。
六角氏は近江源氏の嫡流で鎌倉時代より近江守護職に任じ、当代の定頼は流浪の足利将軍を庇護するなど幕府にも重んじられる大人物であった。六角の大軍を目の当たりにした亮政は、越前の朝倉教景に救援を求めた。教景は一族の名将宗滴を援軍に送り、六角氏と浅井氏との講和を講じ、一旦は和議がなった。しかし、和議はすぐに破られ、六角軍の攻撃に敗れた亮政は小谷城を開くと高清とともに美濃に遁走した。江北の国人あがりの亮政にとって、威勢隆々たる六角定頼の壁は厚かった。
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内保河原の戦い |
大永八年(1528)八月
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浅井亮政・京極高延 × 京極高慶・上坂信光
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高島の戦い |
享禄四年(1531)正月下旬
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浅井亮政・京極高清 × 六角定頼・足利義晴
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高島の戦い |
享禄四年四月
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浅井亮政 × 六角定頼
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海津の戦い |
天文四年(1535)八月〜九月
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浅井亮政 × 六角定頼
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佐和山城の戦い |
天文七年(1538)三月〜五月
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浅井亮政・京極高延(高広) × 六角定頼・京極高慶
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鎌刃城の戦い |
天文七年六月初め
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浅井亮政 × 六角定頼
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太尾山の戦い |
天文七年七月〜八月
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浅井亮政 × 六角定頼
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鳥羽上の戦い |
天文七年八月
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浅井亮政 × 京極高慶
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国友河原の戦い |
天文七年九月十二日
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浅井亮政・京極高延(高広) × 六角定頼・京極高慶
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■ 国友河原合戦要図
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海津の戦い |
天文七年九月十四日
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浅井亮政・田屋明政 × 六角定頼・高島越中守
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小谷城の戦い |
天文七年九月十六日
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浅井亮政 × 六角定頼
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当梅口の戦い |
天文十年七月
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浅井亮政 × 京極高広
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久政の戦い
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長浜の戦い |
天文十三年八月
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浅井久政 × 京極高広
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大溝の戦い |
天文十八年(1549)四月
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浅井久政 × 六角義賢
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菖蒲ヶ岳城の戦い |
天分二十一年正月
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浅井久政 × 今井定清
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武家佐和山城の戦い |
天文二十一年八月
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浅井久政・京極高広 × 六角義賢
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高宮の戦い |
永禄二年六月
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浅井久政 × 六角義賢
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長政の戦い
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佐和山城の戦い |
永禄二年(1559)五月
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浅井長政 × 六角義賢
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肥田合戦 |
永禄三年四月〜五月
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浅井長政・高野瀬秀隆 × 六角義賢
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野良田合戦 |
永禄三年八月中旬
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浅井長政 × 六角義賢
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佐和山城の戦い |
永禄四年(1561)三月
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浅井長政 × 六角義賢
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太尾城の戦い |
永禄四年七月
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浅井長政 × 六角義賢
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観音寺騒動 |
永禄六年(1563)十月
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浅井長政・六角氏家臣 × 六角義賢・義治
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蒲生野合戦 |
永禄九年七月
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浅井長政 × 六角義治
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姉川の合戦(野村合戦・三田村合戦) |
元亀元年(1570)六月
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浅井長政・朝倉義健 × 織田信長・徳川家康
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■ 姉川合戦要図
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志賀の陣 |
元亀元年九月〜十二月
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浅井長政・朝倉義景 × 織田信長
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佐和山城の戦い |
元亀二年(1571)二月
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浅井長政 × 織田信長
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箕浦の戦い |
元亀二年五月
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浅井長政 × 織田信長
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横山城の戦い |
元亀三年(1572)正月
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浅井長政 × 織田信長・竹中半兵衛
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小谷・山本山の戦い |
元亀三年七月
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浅井長政 × 織田信長
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宮部城の戦い |
元亀三年十一月
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浅井長政・朝倉義景 × 織田信長
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木戸・田中の戦い |
元亀四年(1573)七月
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浅井長政 × 織田信長
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小谷城の戦い |
天正元年(1573)八月
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浅井長政・朝倉義景 × 織田信長
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● 資料・図版 : 戦国合戦大事典 [5] (人物往来社刊)・滋賀県市町村史 など
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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