●赤井氏の居城、黒井城祉
南北朝時代の建武二年(1335)に赤松貞範が、猪ノ口山山頂に城を築いたのに始まるとされている。
戦国時代に萩野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、城郭の大改修を全面的に行った。その縄張りは、
猪ノ口山全域におよぶ壮大なものである。
赤井直正は毛利氏と結んで織田信長と敵対、信長の丹波攻めのきっかけをつくった。
天正三年(1575)、信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めが始まると、波多野氏をはじめ丹波武士たちは
光秀に従い黒井城攻撃に従軍した。
光秀軍が城に迫ったとき、赤井軍が打って出たのに呼応して、波多野軍が光秀軍の背後から襲いかかった。
敗れた光秀は命からがら近江の坂本城へ逃げ帰った。この戦いは、赤井と波多野があらかじめ
示しあわせていたものといい、「赤井の呼び込み作戦」として語り継がれている。
その後、態勢を立て直した光秀はふたたび丹波に打ち入った、対する直正は不運にも病死。
直正を失った赤井氏は黒井城に拠って頑強に抵抗を続けたが、天正七年八月、落城した。
・登城:2007年01月20日
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