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・ 丹波の戦国武将、割拠図



 丹波国は京に近く、歴史の節目ごとに小さからぬ足跡を歴史に刻んでいる。 元弘の乱において足利尊氏が倒幕の旗上げをしたのは口丹波の篠村八幡宮、戦国時代末期、明智光秀が主君織田信長を 弑逆する決意をしたのは亀山城(現在の亀岡城)であった。
 丹波守護職は幕府管領細川氏が相伝し、応仁の乱の一方の領袖細川勝元はときの管領であり丹波守護職であった。 乱に際して『応仁記』によれば細川氏一族の教春が丹波勢二千余人を 率いて合戦で活躍しており、京の攻防がそのまま丹波に及んで戦場となることも多かった。
 波多野氏、久下氏、福住城の仁木氏、北桑田の川勝氏、高山城主大舘氏、位田の荻野氏、物部の上原氏、 上林の上林氏など、当時の古文書に名のあがっている在地領主たちは細川氏について戦闘に参加したものたちであった。
 応仁の乱が終息したのち、その余波は全国に及び、世の中は戦国乱世へと推移していった。 そのような時代のなかで、丹波の国人(在地)領主たちも興亡を繰り返した。かくして、戦国時代になると 内藤・波多野・赤井氏らが台頭、それぞれの立場で丹波を舞台に覇を競ったのである。

■丹波戦国時代諸家割拠図



CONTENTS
●丹波の戦国通史 ●丹波三強 ●丹波国人伝 ●国人の家紋 ●三強の居城 ●戦国武将割拠図