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謙信の軍旗


 
旗 旗
天賜の御旗(転化されて「開扇の馬標」) 「毘の一字旗」


 謙信の合戦好きは、幼時から培われたものであろうか。父、為景が死んだ時、越後の国衆たちのなかには敵対者も多かった。葬儀には、みんな甲胄をを着して参列したという。このとき、謙信は虎千代と呼ばれる七歳の幼子であった。
 謙信の武将としてのデビューは、十四歳の時で、以後、少年武将として越後国内を駆け回った。その間の謙信の勇猛ぶりを見た国衆たちから、兄晴景に代えて謙信を擁立しようという動きが出てきた。そして、晴景は隠居して謙信が長尾家を継ぐことになった。
旗  謙信の戦いはただ戦うばかりで、兵と労力を消耗しても、領国は少しも増えなかった。これは謙信に領土翌が少なかったというよりも、越後国では兵農分離がなされていず、いったん敵地を染料しても、農繁期がくると兵を帰さざるを得なかった。また、謙信の軍には領土の占領よりも敵地での略奪という目的の方が大きかったようだ。これは、冬になると大雪に閉ざされ、人々は飢えてしまう。謙信の合戦にはそのような人々を救うための戦いもあったようである。
 謙信は合戦に際して、用いたのが「天賜の御旗」と「毘の一字旗」であった。これが、謙信の軍旗であり、馬標であったと伝えられる。「天賜の御旗」が転化されて「開扇の馬標」となったと考えられているが、その使用、また意匠については諸説がある。「懸かり乱れ龍」の旗は、合戦の突撃の合図に使用されたという。
 これらの軍旗の下で、謙信麾下の多くの勇将・士卒たちが、一命を賭して働いたのである。
「懸かり乱れ龍」の旗
  

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