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佐竹氏の軍旗は、定紋「扇に月」を旗紋としていた。もっとも、扇に月紋は旗紋としての使用から始まったものである。すなわち、佐竹氏の祖、義秀が源頼朝の奥州征伐に参陣したとき、頼朝と同じ白旗を使用していたため、頼朝から扇を賜り、以後旗を換えるように命じられたことに由来する、と『吾妻鏡』に記されている。
戦国時代の義宣の軍旗・馬印はいずれの史料をみてもほぼ同じ内容の記録が残されている。ただ、使番の指に関しては、いくつかの相違が認められる。おそらくは単なる記述違いと思われるが、いまとなっては確認のしようはない。
義宣の自身指物(背旗)は、「総紺の四半」とされるが、指物が描かれた屏風などに退色が見られるため、あるいは黒無地であった可能性もある。
【図説:戦国武将118を参考にしました】
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