中澤氏
二つ引き両/巴
(武蔵七党秩父氏の一族) |
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口丹波と呼ばれる亀岡から摂津池田へ通じる国道423号線、能瀬に分かれる小今交差点の左側の山上に笑路(わろうじ)城址がある。永享年間(1429〜41)、弥勒寺別院庄西の笑路に入部した長沢六郎正綱が築いたと伝えられる。
弥勒寺別院庄は仁和寺領で、承久の乱の際の戦功によって武蔵国中澤郷の中澤基政が地頭職を拝領した。基政は多紀郡大山荘の地頭にも補任され、大山荘に移住した中澤氏は東寺との所領支配をめぐる相論で有名だ。また、弥勒寺別院においても仁和寺と争い、下地中分したのちに関東下知状によって認証されている。中澤氏が一所懸命に生きていたことがうかがわれる。
永正四年(1507)、大山庄地頭中澤四郎左衛門尉が遺した譲状には、「同国弥勒寺別院寺村里外田畑山林等事」が一族に譲られている。中澤氏は長澤とも称していたことから、大山庄中澤氏が一族のものを弥勒寺別院庄に分住させたのが笑路の長澤(中澤)氏であったと思われる。
●「中世丹波大山荘」に紹介された中澤氏系図の冒頭部分
┌中澤次郎兵衛尉 ─ 小次郎左衛門尉基政
│ 大山庄地頭初代
│
└中澤十郎兵衛尉成綱 ─ 左衛門尉佐綱
弥勒寺別院村地頭初代
出自を探る
大山庄地頭の中沢(澤)氏は武蔵国那珂郡中沢郷の出身で、「武蔵七党秩父氏系図」「久下氏系図」などにみえている中沢の後裔であろう。源頼朝の石橋山における旗揚げの頃より、頼朝の麾下に加わった。建久元年(1190)、頼朝が上洛したとき、鎌倉御家人のひとりとして中澤兵衛尉が供奉している。
中澤氏の出自に関して、「丹波笑路城発掘調査報告書」添付資料の 『長澤氏由緒略伝』によれば、「先祖は清和源氏新田氏の嫡流、里見伊賀守義成三男武蔵国住人中澤三郎重基、後堀河院御宇貞応年中始めて丹波国に入り本目庄神尾山に城郭を構へ居住、重基曾孫中澤彦三郎基宗実子無きにより越中国長澤伯耆守光綱の男重義を養子となしそれより長澤と称す」という。一方、長沢重綱が遺した『伜又太郎への遺書』には「源頼光の後裔」と記されている。
さきの「久下氏系図」は弘治元年(1555)の編纂であり、極めて信憑性の高いものといわれている。その中で、久下氏は頼朝が旗上げした頃の「直光・重光・実光」の祖父の頃に中澤を称したとの伝承が記されている。また、室町後期、永正九年の久下政光遺言状案、弘治三年の久下重像由緒書には、「久下・村岡・中澤・川原・熊谷一流なり、但子細あり氏紋は替わるなり」とある。さらに『丹波志』に「貞応三年(1224)の冬久下氏と同伴して丹波に来り多紀郡本目に住す」とあることから、中澤氏は久下氏の一族と考えるのが妥当なのではないだろうか。
他方、丹波中澤氏は源義経の後裔とする説もある。『丹波歴史年表』にみえる「元歴元年11月、長澤六郎遠種の女源義経の子を姙み長澤家を継六郎次郎義種と称す」との記事、『多紀郷土史考』の「(南家)巨勢麻呂九男武藏守経邦二男、或云舎弟小山忠門、後摂津國長澤県、後移小山庄、改永字為長澤、元暦年中長澤六郎遠種、息女有、源義経遺腹之子、令続長澤之箕裘、号六良二郎義種、自是以来改藤姓犯源姓・・・」とある記事などから、まったくの作り話とも思えないが珍説というしかない。
・笑路城址:大阪方面から(左)/ 城址を登り口から見上げる
・中澤氏の菩提寺長福寺、境内南側の一角に笑路城主中澤氏の古い墓石が残っている
・笑路から能勢に通じる明月峠にある明月姫の供養塔
→ 笑路城址に登る
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笑路長澤氏の軌跡
室町時代、中澤氏は幕府右筆方奉行人を務め掃部允信綱、次郎左衛門尉氏綱、次郎左衛門尉季綱、備前守之綱らの名が史料に散見する。
戦国時代を迎えると、長沢右衛門尉重綱の弟豊後守兼綱が犬甘野城に拠るなど、別院庄西部に勢力を維持した。おそらく丹波守護代内藤氏に属し、内藤氏が没落したのちは波多野氏に属していたものと思われる。やがて、永禄十一年(1568)に織田信長が足利義昭を奉じて上洛、丹波の諸将は信長に従った。しかし、義昭と信長とが対立するようになると、丹波諸将は信長から離反して義昭に通じ、笑路城主長沢家綱もこれにならった。
明智光秀を大将とする丹波平定が始まると、家綱はこれに抵抗して、法貴坂戻り岩で明智光秀軍と相対した。ほどなく、法貴山城主酒井孫左衛門のとりなしを受けて光秀と和睦、酒井氏らとともに光秀の配下となった。天正十年六月、光秀が本能寺に信長を攻撃すると、家綱は酒井氏らとともに光秀に従った。つづく山崎の戦にも光秀方として出陣、明智方の敗戦によって討ち死にした。
【参考資料:丹波笑路城発掘調査報告書/大山村史 ほか】
・注目WEBサイト…中世丹波大山荘
義経に子孫はいる
■参考略系図
・「丹波笑路城発掘調査報告書」の記述より作成。
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