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青四角 家紋
真田氏 六文銭/結び雁金/州浜 /滋野氏流海野氏族
信濃の真田氏は、滋野姓海野氏流で、清和源氏を称する海野氏から分かれたとされる。すなわち、戦国時代に海野小太郎棟綱の子の弾正忠幸隆が小県郡真田庄松尾城に居住し、はじめて真田氏を称したという。しかし、一説には、海野棟綱の子が幸義でこれも小太郎を称し、その弟幸隆が小太郎の婿となって相続したともいわれ、このあたりの血統関係は必ずしも明確とはいえない。いずれにしろ、幸隆以前については確実な名が伝えられておらず、もちろん事績として伝わるものもない。
幸隆は幸綱ともいい、武田信玄に仕えて頭角をあらわし、真田氏発展の礎を築いた。幸隆の嫡男・信綱、二男・昌輝は長篠合戦で戦死、 三男の昌幸が武田氏滅亡ののち戦国大名として自立、本能寺で織田信長が横死したのち、徳川家康。北条氏政、上杉景勝、そして豊臣秀吉の間を巧みに泳ぎ切った。また、 徳川家康の大軍を上田城に迎え撃ち撃退する戦巧者であった。「関ヶ原の合戦」では西軍に付き、西上する徳川秀忠軍を上田城に釘づけにした。 戦後、二男・信繁(幸村)とともに紀州九度山に流されたが、東軍に味方した嫡男・信幸が近世大名として生き残った。 信繁は「大坂の陣」で徳川家康を窮地に追い込む活躍をみせ、華々しく戦死した。 【更新2015_12/01】
青四角  


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更新情報にリンク 2013-01/01

● 浅井氏の歴史を探る… 浅井氏

「武家の名字」に、 栗田氏/ 絵師狩野家/ 広戸氏/ 有元氏/ 丹後松田氏 を新規アップ。 収録武将家1130家に。
南条氏家伝/ 安見氏 の家伝・系図を全面更新。

「戦国山城を歩く」に、 長谷高山城/ 安積城/ 天神山城/ 香山城/ 黒井攻め陣城群-3/ 黒井攻め陣城群-2/ 寺前城/ 白鳥越え山城群/ 恒屋城/ 柏原城/ 黒井攻め陣城群/ 信貴山城/ 和田城館群/ 山下城> をアップ。

「武家の家紋の由来を探る」に、 赤井氏の丸に雁金抜 を追加。


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●弘治元年(1555)〜元和九年(1623)
●上杉謙信の一族長尾政景の次男として生まれ、母は謙信の姉であった。父政景の死後、謙信に育てられのちにその養子となった。謙信の死後、もう一人の養子である景虎との家督争い「御館の乱」に勝利して上杉氏の当主となった。豊臣秀吉に仕え五大老の一人となり、会津百万石の大大名となった。秀吉の死後、石田三成に呼応して、徳川家康に反旗を翻した。しかし、三成が関ヶ原で敗れたため家康に降伏し、米沢三十万石に減移され、米沢藩祖となった。


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