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龍造寺氏の軍旗
・戦場にはためき、その存在を誇示した旗印
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合戦に際して、それぞれの陣には軍旗がたなびいていた。それは、合戦図などをみれば、それぞれの家の紋や印を染め抜いたもので、その林立する様は、まさに緊張感と気迫を漲らせている。
実物が伝わっているものもあるが、合戦図や古記録からしかその実際を探るしかないものもある。大友氏の場合、耳川合戦図に、島津氏は、耳川合戦図・関ヶ原合戦図、鹿児島尚古館の所蔵品などに、その軍旗を見ることができる。しかし、龍造寺氏の場合は、隆信の戦死後、衰退し、かつ家臣であった鍋島氏にとって変わられたことから、その軍旗の実体を知ることは難しい。とはいえ、鍋島氏が龍造寺氏を継承してことでもあり、おそらく鍋島氏の軍旗は龍造寺氏のものを受け継いだと考えられる。
■龍造寺氏の軍旗
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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