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 徳川氏は清和源氏の新田氏の子孫というのは疑わしいというのが定説。家康が三河統一をなしとげた時それまでの 松平姓を本姓の徳川氏に復したいと朝廷に願い出て三河守に任命されている。その折源氏を強調したようだ。

●初代親氏の存在

 松平氏の系図で論争になるのは親氏のところである。『徳川諸家系図伝』『徳川実紀』『藩翰譜』『改正三河後風土記』などでは、松平初代を親氏としている。この親氏についての伝承に年代の開きがあり、信憑性に問題がありことから、偽系図説が出る。しかし、時宗関係の伝承には、年代の誤りはあるとしても、新田源氏から三河松平氏への説話も多い。また慶長十年、神龍院梵舜が家康に命じられて系図を作成したという。梵舜は『尊卑分脈』にもとづいて新田系図の追書きをした。
 新田氏と松平氏のつながりはとぎれとぎれに出てくる。『藤沢寺記』によれば、「至徳二年、新田一門過半波合にて討たれ、新田相模守義隆父子、有親父子、わづかに逃れ奥州に下り、有親は塩釜のあたりにかくれ居給ひけるが、小山若犬丸の催促にしたがひ、宮方の徒、馳集りしに、同六月、鎌倉殿氏満、大軍にて発向あり、新田.小山、田村等悉く退散す。有親ひそかに本国新田祝村に帰住し給ひしかも、鎌倉の捜索厳しければ、自害し給はんとせられしとき、護身宇賀神の霊夢に感ぜられ、その時、遊行十二世尊観上人、たまたま岩松青蓮寺に旅宿あしかば、その弟子となり、有親、親氏、泰親、三人とも名をかへ姿を改め給う」とある。  その後、有親は長阿弥に、親氏は徳阿弥と遊行僧となり放浪することになる。では、両名が何故三河にいったのかは『称名寺略記』に
 「徳川有親および其長男親氏従士石川孫三郎と本刹に来住す、蓋し孫三郎は本刹住持の兄たるの故も以ってなり、有名なる牧渓筆『渡宋天満宮』は当時有親公の寄進にかかる後、親氏は松平村に移り有親は亨徳元年本刹に於て卒す」とある。称名寺は時宗の寺であり、上野国から三河国へきた理由が述べられている。
 時宗本山藤沢の遊行寺にある『遊行・藤沢両上人御歴代系譜』の自空上人の項にも、親氏親子の事が記されている。同書には、親氏親子は石川孫三郎に従って三河に来たことが述べられいる。また、親氏が長男で泰親が次男で兄弟であったことも説明されている。
 三河の坂井や松平に土着することを述べているものに『改正三河後風土記』がある。「世良田二郎三郎親氏が、三河坂井郷の豪族の婿となり一子をもうけた。しかし、娘は産後に病死。その後、親氏は三河国松平村の松平氏に婿として迎えられる。そして松平太郎左衛門親氏と名乗る」とある。
 これら諸書の記述はにわかには信じられないが、伝承としては長く伝えられたものであろう。

●変転する本姓

 このほか、親氏が源氏を称した記録として、三河国足助八幡宮に、徳阿弥自書の『大般若経』百九十巻を奉納し、その奥書に「応永廿七年 太郎左衛門源親氏」とある。また、三河国滝村万松寺の『法華経奥書』に「心願の成就を祈り奉る者也。応永三十四年 書了す。三河国松平郷、太郎左衛門尉源親氏」とある。
 下って、三代信光になってから源姓を称しているものもある。滝村の万松寺本尊の台座に、「慈応山万松寺本尊 永享十二年 松平和泉守源信光」とあり、これは、信光三十七歳のときとされている。また。岩津妙心寺願文には、「源氏の武運をして永代尽くる期無からしめんと欲す。−−− 沙弥信光敬白」とある。
 このように三河へ来住してからも、言い伝えとして源姓を表現しているのである。
 このように、源姓を名乗りながらも、古記録には藤原氏、あるいは加茂氏を名乗っているものもある。松平氏が源氏の新田氏の末を宣言したのは、家康が征夷大将軍に補されたときで、将軍職を負うには清和源氏の出身であることが必要とされたからだ。いずれにせよ、新田源氏とはいいながらもそれほど出自の明かでない低層階級から台頭した族であったというところではないだろうか。
 戦国時代のことばを借りていえば、織田信長や豊臣秀吉と同じ「成り上がり者」氏族で、新興氏族に過ぎなかったのではないか。しかし、だからといって徳川氏の偉業が損なわれるものではない。乱世を生き抜き、明治維新に至るまでの太平の世を現出したことは事実なのだから。戦国時代、名流をもって君臨したものの多くは滅亡し、最後に生き残ったのは、徳川家をはじめ、そのほとんどが自己の能力と運をもって成り上がった者ただった。これは、中世から近世への過渡期に起こった革命でもあったのだろう。

. ■参考略系図
・系図綜覧所収「御当家系図」をベースとして、松平町史・尊卑分脈 などを参考に作成
徳川系図




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