赤松氏



家紋アイコン 置塩城址登城記




●置塩城への登山口 ●急坂を十八丁まで続く ●城山中腹から姫路方面を見る

 置塩城は夢前川に面する城山の頂上にある。登山口には、置塩城址の碑があり、城址の配置図が立てられている。そこから、夏の陽射しに汗みずくとなりながら登ること約一時間、置塩城址に辿り着ける。かなりの急坂のため、城址につくころには、青色吐息の状態になる。しかし、呼吸を整えて城址を見渡すと、思いがけもしない結構が目に飛び込んでくる。まさに、頂上全体が城郭化されていたことがみてとれる。往時は、数多の建物が立ち並び、武士たちが行き交っていたことが、はっきりと感じ取れるのである。


●空堀の跡 ●もっとも高所にある本丸跡


●そこかしこに土塁跡が点在する、かなり大きな縄張りであったことがうかがえる

 二の丸、三の丸、南曲輪群、茶室跡、西南曲輪群、北曲輪群、台所跡なが散在し、意外な、広さと曲輪群の多さに驚かされる。いまは、ほとんど崩れ落ちてしまっている石垣も当時は堅固な作りであったことをうかがわせている。そして、本丸に登ると、はるか彼方に瀬戸内海、四国が望める、まさに絶景と呼ぶにふさわしい風景が眼下に展開するのである。
 さすがに、播磨・美作・備前の守護職に補せられた赤松氏の威勢のほどを、十分すいるほどに感じさせてくれる。しかし、これだけの結構をもった城であっても、時代の荒波に抗することはできず、結局は空しく過ぎる時間のなかで、百年の栄華を朽ち果てていかんとしているのである。


●崩れかけてはいるが、往時の堅固さをうかがわせる石垣群

 芭蕉の「夏草や つわものどもの 夢の跡」の句を持ち出す間でもなく、栄光の時代があっただけに、その滅びる様も哀しさを深めるというところだろうか。



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