赤罫 ヘッダイメージ



出自を探る


 島津氏は惟宗姓・源姓・藤原姓の三説がある。源頼朝の落胤説は、すでに江戸時代においても疑問視され、現在では単なる伝説とされている。信頼できるのは惟宗姓といえるようだ。
 今日、島津氏の出自として、通説的に考えられているのは、惟宗基言の子広言が、近衛天皇の時代、 播磨少掾を辞して近衛家に仕え、近衛家領島津庄の下司となって下向したのに始まるとされる。 つまり、広言の子忠久が島津氏の初代になったとするものだ。ちなみに、播磨には島津姓が現在も残っている。
 しかし、忠久を広言の子と確定する材料はなく、忠久は惟宗姓のひとつであり、その一族であったとしかいえないのが実状のようだ。
 忠久は頼朝から薩摩と大隅の守護職に補任され、のちには日向の守護職も得て、島津氏は南九州一の大族として歴史に名をあらわした。

●右:参考略系図   
  



戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
由来ロゴ
家紋イメージ