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戦国山城を歩く
将軍義輝の拠った─霊山城
霊山城は『異本年代記』によれば、天文二十一年(1552)、東海道と渋谷越えを押える目的で将軍足利義輝が築いたものという。
中尾城を失った義輝は霊山城に拠って三好長慶と対峙したが、天文二十二年、長慶の大軍に囲まれ、わずか一日の戦いで落城した。
まことにあっけない城史ではあるが、将軍の拠った城として注目されるところだ。
城址は正法寺後方の山上にあり、伊藤博文の碑が立っているあたりが主郭のようだ。
主郭から西側の山腹を木々越しに見透かすと、なにやらヒナ壇状の削平地が見える。風化と藪化が進んでいるが、幾重にも設けられた腰曲輪が連続し、
崩れかけているが切岸も残っている。主郭の東下には、その先の尾根とを穿つ堀切が設けられ、さらにその先には土橋をもった竪堀状の遺構が確認できた。
振り返ると主郭の高い切岸と堀切、左手尾根に曲輪群が連なる様は、なかなかどうして立派な城址だ。
・正法寺境内から京都市街を見る
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