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戦国山城を歩く
足利義晴が築き義輝が拠った─中尾城
天文十八年( 1549)、ときの将軍足利義晴によって築かれたが、義晴は新城に入ることなく、近江朽木で病没してしまった。
中尾城には新将軍となった義輝が入り、三好長慶と対峙した。しかし、長慶の大軍の前に、あえなく敗れた義輝は
中尾城を自焼すると近江に敗走した。中尾城は三好軍によって徹底的に破壊され、わずか一年という儚さであった。
城址へは、如意ヶ嶽城址から大文字焼きの火床へ通じる途中の鞍部より中尾山に分岐する山道をたどった。
最南端の竪堀と曲輪は『万松院殿穴太記』に「尾さきをば三重に堀切て、二重に壁を付て其間に石を入たり。」と記された遺構らしい。そこから北方の尾根へ、曲輪・土塁、堀切、帯曲輪などの城址縄張りが展開している。
城址は雑木に覆われ展望も悪く決して広くもないが、曲輪、土塁、竪堀などの残存状態は悪くない。
本曲輪群を探索したあと、西方尾根に築かれた出曲輪群を攻略。中尾城址は銀閣寺後方の山麓に居館、山腹に出曲輪、山上に主曲輪と
将軍の居城にふさわしい規模を持った城址だ。
・志賀越えの道から城址を見る<
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