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戦国山城を歩く
丹波松尾山上の山城─高仙寺城
高仙寺城は篠山市の西方に聳える白髪岳と並び立つ標高680メートル余の松尾山山上にあり、
矢代酒井党の惣領主水介氏治が築いたものと伝えられている。氏治は南矢代城を本拠としていたが、
明智光秀の丹波攻めが始まると、酒井党が割拠する諸城の要の城として標高もあり峻険な松尾山上に
新たに城を築いたようだ。戦国山城とはいえ、なんとも高いところに築いたものだと驚かされる。
城の遺構は、最高所の主郭を囲むように腰曲輪が階段状に築かれ、高仙寺に続く尾根に築かれた二つの城址とともに、
城郭群を形成している。主郭から東に伸びる尾根にも曲輪が築かれ、城門址を思わせる大岩、
城址最東端は堀切が切られている。全体に削平もシッカリしていて、切岸も高く、保存状態は悪くない。氏治はなかなかの勇将であったようだが、天正六年、大山城に拠って
明智軍と戦う長澤氏に援軍として出陣、傷を被った氏治は高仙寺に帰る途中で戦死した。
いまも「自光院殿」「酒井城主氏治之墓」と刻まれた墓碑が、かつて山腹にあった高仙寺の一山墓地の西方に祀られている。
・古市方面から城址のある松尾山を見る
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