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戦国時代を歩く
丹波松尾山を歴史散策する
高仙寺城は篠山の西方松尾山上に築かれた山城だ。城址へはいくつかの登り口があるが、
大手にあたる篠山市住山地区から城址を目指した。
集落を背後に山道をたどると、往時、一大山岳寺院であっただけに石仏が要所に祀られている。ひたすら上ると
阿弥陀堂跡の石垣にたどり着く。薄暗い堂跡には三体仏がひっそりと佇むばかりだが、
意外な広さがかつてあった堂宇の名残を伝えている。
寺院址は阿弥陀堂から本堂跡、そして朽ちかけた愛宕堂、高仙寺の僧侶たちの
墓石である卵塔が林立した墓地跡にへと続く。墓碑に手を合わせ、いよいよその背後の山に続く城址にアタックする。
高仙寺城址は三つの城址の集合体で、石垣が散在する真中の城址にある仙ノ岩からは、篠山市南部の壮大なパノラマが
堪能できる。最高所に酒井氏治が拠った高仙寺城址の遺構が残り、朽ちかけた案内板が立っている。縄張は主郭を
中心に腰曲輪が階段状に設けられ、東の尾根には堀切が切られている。三つの城址を合わせると、なかなかの規模の城址
だが、よくぞこの高い松尾山の山上に築いたものと驚かされる。
城址からの眺望はいまひとつだが、樹木をはらえば正面に波多野氏の拠った八上城が望めるところであり、
東北方にはわずかだが篠山市北方の街が見える。酒井党はこの高い松尾山上に城を築き、織田軍の丹波侵攻に
抵抗し敗れさった。落城時に高仙寺も焼亡し、のちに再興されたが明治維新の廃仏毀釈によってダメージを受け
大正十年に現在ある南八代の地に移った。以後、松尾山は静かに自然に回帰しつつある。
・登山口から松尾山を見る
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