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戦国山城を歩く
三好長慶が築き山本氏が守った、静原城谷山城
静原城址は城谷山山頂部に築かれた城谷山城と、城谷山から南東に延びる尾根筋の先端部に築かれた城山の二つがある。いずれも、
京から近江を経て敦賀に通じる敦賀街道を眼下に見下ろし、西方の薬王峠を通じて鞍馬街道を押さえる要衝の地に位置している。
伝によれば山本対馬守(資幹)が明応年間(1492〜1502)に築いたものというが、記録には弘治三年(1557)、
三好長慶が山城五十四郷に夫役を課して築城したとある。
城址へは南尾根の城山城址を経て、さらに北方尾根の山上を目指すことになる。城址は主郭を中心に三方の尾根に曲輪が築かれ、
それぞれの曲輪はなかなかの広さで、切岸も見事な高さで切られている。細長く伸びた北西曲輪の先端には土塁が設けられ、その先の
尾根とは堀切で隔てられている。虎口を思わせる窪地、主郭の切岸には石垣などが確認でき、主郭虎口には石段跡が残っている。
石垣が多用された城山城址と比べると旧式な感はあるが、保存状態もよく見どころの多い城址だ。城主山本氏はこの城で、
明智光秀の攻撃を受け、三ヶ月の攻防戦の末に滅亡した。いまも、城主の子孫が近在に住まわれていると聞くが、古文書などは
伝わっていないという。山上に朽ち果てつつある城址だけが、戦国当時の歴史を語り伝えているようだ。
・城址を遠望する、左手高みが城谷山城址で右手に連なる尾根先が城山城址。
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