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戦国山城を歩く
垣屋氏が羽柴軍を迎撃した宵田城址
宵田城はJR江原駅南西に見える、標高156メートルの城山と呼ばれる山上にかつて存在した山城である。山裾を稲葉川が天然の濠のように取り巻いて流れ、山腹を城山トンネルが貫通している。永享二年(1430)、山名氏の重臣垣屋隆国が本城である楽々前城の出城として築き、
次男の国重を城主に配したという。以後、宵田城は垣屋宗家の一翼をになって戦国時代を迎えた。
天正八年(1580)、羽柴秀吉の但馬侵攻に際して、ときの城主垣屋峰信は織田勢に抗戦、敗れて討死したという。その後、秀吉政権下の有子山城主の支配化におかれ、
現在みられる縄張りはそのおりに改修されたものと考えられている。
城址へは東南の山裾にある鹿島神社と、その隣の岩中発電所の間から舗装された登り道が続いている(一般車は利用できない)。一度目の訪問時には登城路が分からなかったこともあり、二度目は宵田城北方にある但馬国府・国分寺館を訪ね、学芸員の方より縄張図をいただき山上を目指した。舗装路の途中に旧道の標識があり、迷わず、旧道へと分け入った。曲輪、竪堀が連続するものの、
次第に道は竹やぶに覆われた獣道と化し、喘ぎながら山上近くで舗装路にたどり着く。
山上には本曲輪を中心に、二の丸、三の丸が広がり、北方の曲輪には虎口が残っている。さらに土塁、竪堀、堀切が随所に設けられ、本丸からは北方に豊岡方面、南方に八鹿方面が一望できる。文字どおり、戦国山城が堪能できる城跡だが夏草のない秋以降の登城がお勧めだ。
・主郭の案内板に描かれた縄張り図
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