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戦国山城を歩く
丹波随一の山城、八木城址を歩く
八木城は、京街道(山陰道)を眼下に望む口丹波随一の要害である。城主の内藤氏は多紀郡曾孫地城主出会ったが、顕勝が足利尊氏の篠村八幡宮での挙兵に応じ、
戦功により船井郡を賜り八木に移住し、この城に拠ったのが始まりとされる。
内藤氏は丹波守護となった細川氏の守護代となり、丹波に勢力を広めた。その後、興亡を繰り返し、
織田信長の丹波侵攻に際して、ときの城主有勝は、明智光秀を迎え撃って勝利、一時は和睦したがふたたび攻められ、
戦死、城は落ちた。
八木城は堅固な山城で、丹波国内では八上城、黒井城と並んで三大城郭の随一といわれ、
また、中世の山城としては有数の規模を誇っている。大手側の居館跡から山上に続く登山道を登っていくと、
対面所を経て主郭へとたどり着く。遺構は主郭を中心に、四方の尾根に築かれ、石垣、切岸、堀切、土塁などが
良好に残っている。何よりも主郭からの展望は抜群で、さすが丹波守護代の拠った城であったことが実感される。
・JR 八木駅から八木城址を遠望(2008年07月26日)
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