戦国山城を歩く
朽木谷の戦国山城、西山城


西山城は朽木氏が戦国時代に詰めの城として築いた山城である。城は西方の若狭街道、東方の朽木街道を扼する 標高356メートルの西山山上に築かれた要害だ。その規模は南北450メートルの山上に十ヶ所以上の曲輪を築き、 堀切・土塁がもうけられ、大手方面には虎口ももうけられている。本丸北方の烽火台など、小規模ながら 高い技術で築かれた城だ。
・右:現地説明板の縄張図


南西方向より城址を遠望 ・急坂を登る ・要所に標識 ・分岐の出曲輪 ・出曲輪の切岸


土塁跡 ・主郭へ ・主郭下の祠 ・主郭の虎口 ・曲輪と櫓台


櫓台跡の土塁 ・主郭南側の土塁 ・櫓台の切岸 ・溜枡跡に残る石積 ・東尾根を穿つ堀切

朽木谷に桜が満開の日に登頂しながら、あいにくの小雨に見舞われ、山上から望めるという琵琶湖こそ見えなかったが、 手入れの行き届いた城址は見所がいっぱいだった。城址の近くには愛宕神社が祭られ、いまも参拝者が多いというが、 神社の倉庫とおぼしき建物の物陰に一升瓶がごろごろと転がっていたのが残念であった。


興聖寺(旧秀隣寺)
興聖寺は戦国時代足利将軍義晴・義輝らがが流寓した寺で、境内墓地の背後には立派な土塁と空掘りが残っている。また、 旧秀隣寺庭園は朽木稙綱が将軍義晴のために築いたといわれるもので、武家書院の蓬莱池泉鑑賞式庭園として有名なものだ。




朽木氏
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