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戦国山城を歩く
西備前の雄松田氏が拠った金川城址
臥龍山山頂に築かれた山城で、戦国時代、西備前に勢力を誇った松田氏の居城であった。築城の時期は明確ではないが、文明十二年(1480)、松田元成が富山から本拠を金川に移したことに始まるという。以後、松田氏五代、約九十年にわたって西備前随一の山城として存続した。永正六年(1509)、松田元勝は三条西実隆より玉松・麗水の二書を送られ、玉松城と命名したと伝えられる。備前西部の戦国大名に成長した松田氏であったが、元輝の代の永禄十一年(1568)、宇喜多直家の攻撃を受け、元輝をはじめ嫡子元賢らは壮烈な戦死をとげ、金川城も陥落した。その後、直家の舎弟浮田春家が城主となったが、慶長八年(1603)、徳川幕府の一国一城令によって廃城となった。
・城址案内板の縄張り図
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