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荻野氏
藤丸/丸の内沢瀉
(清和源氏葦田氏流


 天下統一を急ぐ織田信長が丹波・丹後の経略に乗り出したのは、天正三年(1575)の春であった。そのころ、丹波の守護であった細川氏は影をひそめており、丹波の守護代であった内藤氏もわずかに口丹波の八木城の保持に精一杯の状態であった。当時、丹波では多紀郡八上城主波多野氏、氷上郡黒井城主荻野(赤井)氏の支配力が伸長しており、奥丹波も勢力下においていた。
 ここに取り上げた荻野氏は、丹波の豪族葦田・赤井氏と同族である。その祖は信濃国高井郡井上村から移り住んだ井上大炊介判官代家光で、家光は源頼義の弟頼信の子頼季の孫にあたる。世にいう清和源氏頼季流である。
 保元三年(1158)、家光は故あって丹波芦田庄へ流され、東芦田に居住した。当時は保元の乱の直後で、源氏の一党である家光にとっても試練のときであった。やがて、源頼朝が源氏再興の旗を挙げ、文治元年(1185)檀の浦に平家を滅ぼした。こうして葦田党にも春が訪れ、家光の子道家は勢力を丹波氷上郡から天田・何鹿・船井郡へと伸ばしていった。その後、吉見重資・足立遠政・久下直高ら鎌倉幕府から派遣された地頭が丹波に割拠するようになったが、葦田氏の優位は揺るがなかった。
 建保三年(1215)為家は父朝家から所領を分与されて、氷上郡新郷に移った。その地は赤井野とも呼ばれ、そこに後屋城を築き地名をとって赤井氏を称した。以後、後屋城は戦国時代に至るまで赤井氏の本拠となった。
 為家に二子があり、兄の家義は父の跡を継いで後屋城主となり、弟の重家は分かれて荻野姓を名乗り朝日村に住した。重家はまたの名を朝忠といい尾張守を称した。南北朝期『太平記』に、荻野尾張守朝忠が出てくるが、朝忠(重家)とは年代的にも合わないことから同名異人と思われる。しかし、『氷上郡誌』は、「荻野朝忠は同族である赤井・葦田を抜いて南北朝期もっとも優勢であった。朝忠は久下時重とともに常に尊氏の幕下にあったが、領地確保のうえから久下氏と対抗する必要もあり、あるときは南朝方に属して久下氏と争った」と記され、荻野朝忠は丹波守護代もつとめていたようだ。いずれにしても、荻野氏は一族の赤井・葦田氏と協力しながら勢力を伸ばしていったことが知られる。
■ 写真=後屋城址に残る土塁

→ 後屋城界隈を歩く


赤井直正、荻野氏を継ぐ

 丹波の名城黒井城は赤松貞範が築いた城で、赤井氏の手に渡ったのは南北朝の中頃と思われる。そして、文亀年間(1501〜3)に、荻野和泉守が赤井氏によって入ったとされる。赤井氏の勢力が強大化するにつれ、荻野氏はいつしかその下風につく形になっていたようだ。
 天文年中(1532〜54)、朝日城の荻野氏は赤井氏から時家の次男才丸を養子として迎えた。才丸はのちに元服して右衛門尉直正と名乗った。かれこそ丹波の赤鬼の異名をとり、戦国時代に名を馳せた荻野悪右衛門直正その人である。ちなみに、丹波の青鬼と称されたのは、籾井城主の籾井越中守教業であった。
 天文十八年(1549)になると、八木城の内藤国貞の軍勢が赤井時家の一族にむかって攻撃してきた。しかも内藤氏だけの軍勢だけではなく、三好長慶の兵力も内藤勢に加わっていたようだ。この合戦は直正の奮戦によって赤井方の勝利となったが、黒井城の荻野秋清もおおいに戦った。
 その後、直正は主君であり叔父でもある、黒井城主荻野秋清を殺害し、自ら黒井城主となった。まさしく、下剋上の人物であった。このころ、荻野氏は赤井氏よりもはるかに大きな勢力であった。それにも関わらず、黒井城の支城主秋山修理大夫が、八上城の波多野晴通によって滅ぼされたとき、秋清はなんら手をうたないということがあった。各地に割拠している豪族が相争う時代にあって、城主秋清の姿勢は家臣らにとって、はなはだ頼りなくみえた。そのようなこともあって家臣らは、頼もしい城主を迎えたいと思い直正の下剋上を後押ししたのであろう。
 信長の丹波討ち入りにさいしては、八上城の波多野氏を中心に丹波の諸豪族は光秀軍とよく戦った。その最中の天正六年(1578)、病を得ていた直正は病死した。ところで、丹波合戦に際して、羽柴秀吉の家臣・脇坂安治が援軍に送られ、安治は直正を訪ねて降伏をすすめた。直正はこれを謝絶したが、単身敵城に乗り込んできた安治の勇気と好意に感じて、赤井家重代の家宝「てんの皮」を贈った話が伝えられている。
 直正死後も明智軍の攻撃に対し、荻野一族は黒井城によってよく戦い、ついには敗れて正光・その長子朝高は討死し荻野氏は没落、残った一族も離散していった。・2004年11月25日

資料資料:丹波戦国史(歴史図書社刊) など】

■余談ながら

 丹波荻野氏は、桓武平氏梶原氏の後裔とする説もある。荻野氏は本文に書いたように清和源氏頼季流とされているが、梶原氏流の荻野氏を頼季流が継いだものかも知れない。おそらく、二流の荻野氏が存在していたものであろう。
■平姓丹波荻野氏の情報を見る。

■赤井氏の家紋:丸の内雁金/撫子



■参考略系図  
  


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