戦国山城を歩く
土豪森氏が拠った黒田城


園部から南下する府道54号線沿いの黒田集落にかつて存在した城址で、山頂の主曲輪から東尾根と南尾根に 曲輪を配した単純な縄張りの山城だ。曲輪の削平は不完全で、東尾根の曲輪周囲の土塁も低く、黒田周辺を領した 土豪の城である。伝承によれば、天暦元年(947)に森宗政が築城したとされ、天正八年(1578)、 戦国末期の森越前守高之の時、明智光秀に攻められ落城したという。越前守は八上城主の波多野氏とともに反織田方で、 織田方の宍戸城主小畠氏とは再三小競合いを演じたという。
・右:城址縄張り図




城址を南側より遠望 主郭へ 主格の切岸 要所に立てられた標識はスキーの板を活用




主郭に祀られた祠 意外に広い主郭 東郭突端の土塁跡 虎口跡?




竪堀跡 登り口の標識もスキーの板を再利用  ・城址近くの黒田古墳 黒田古墳から城址を遠望


小畠氏
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