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戦国山城を歩く
横堀と土塁が見事な猪倉城址
城址は亀岡から姫路に通じる国道372号線を、湯の花温泉街を抜けてすぐに開ける本梅盆地入り口の小山の上にある。
城の北方を通る372号線は旧山陰道であり、南方には摂津方面に通じる街道が走る交通の要衝を占めている。
記録によれば、戦国時代の天文年間(1532〜55)、中沢豊後守知綱の支配下にあったことが知られる。
中沢氏は笑路城主の中沢氏の一族と思われ、八木城主の内藤氏に属していたようだ。
城址遺構は山上一帯によく残っており、西方を流れる本梅川が天然の濠をなしている。
山麓に巡らされた獣除けの金網を抜けて城址南側の山麓に分け入ると、まず、山上から続く竪堀群が目に飛び込む。
山上の曲輪群へと続く登り土塁をたどっていくと、竪堀が左右に連続して切られ、
城址直下には横堀が東西に延々と廻らされている。曲輪は横堀に沿うように「く」の字型に築かれ、横堀側は
土塁が取り巻いている。西北方の主郭の左右と北側には腰曲輪が築かれ、それぞれ切岸も高い。さらに、
主郭の西方には武者隠しであろう塹壕状の遺構があり、そこから竪堀が山裾まで落とされている。
小ぶりな山城だが、よくまとまった縄張りで、横堀、竪堀、土塁もよく残っている。藪化が進んでいるが、
登りやすいところでもあり、再チャレンジをしたい城の一つだ。
●本梅川越し猪倉城址を見る
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