戦国山城を歩く
守護細川氏に抵抗した位田城へ


城址は由良川と八田川との合流地点北西にそびえる高城山にある。南北朝時代、位田次郎晴長が築き、戦国時代はじめの延徳元年(1489)には位田晴定が拠っていたという。位田城を有名にしているのは、丹波守護細川政元の守護代上原豊前守の圧政に抵抗した丹波国人一揆の拠点となったことである。守護に叛いた荻野・大槻氏ら丹波国人は須知城に拠って、丹波・但馬・摂津など十三カ国の大軍を迎え撃ち、一年間にわたって抗戦を続けた。 いわゆる「位田の乱」の舞台となったのがこの城であった。
遺構は東峰の高城、西峰の宮ノ越を主体に、その間に低城とよばれる曲輪群が存在する。城址へは山麓にある浄泉寺東方より山上へ続く登山道が整備され、二条の堀切、陣屋址を越え、急坂を登りきると高城にたどり着く。最高所の主郭からは眼下に由良川の流れ、そして綾部盆地が一望できる素晴らしい展望が広がる。この城に拠った丹波国衆は、眼下に展開する守護軍を見て戦意旺盛だったのか、 はたまた萎えようとする戦意を駆り立てたのか…遠い日の武将の気持が偲ばれてくるところだ。
・由良川越し正面に位田城址を見る



山麓の浄泉寺 ・ 整備された登り道 ・ 横堀址 ・ 土橋越しに見る ・ 山腹の番所址


急坂が続く ・ 高城手前の堀群 ・ 高城主郭と切岸 ・ 由良川を見下ろす ・ 山上の三角点


低城の堀切 ・  古城(宮ノ越)に続く土橋状の道 ・ 古城の土塁越しに高城を見る ・ 主郭の切岸と腰曲輪 ・ 段曲輪を見る


段曲輪と切岸 ・ 竪堀 ・ 切岸を下る ・ 連続する曲輪 ・ 古城最南端部の虎口


竪堀を下る ・ 居館址か? ・ 居館址柵平地の古い祠 ・ 山麓に到着 ・ 浄泉寺の一角にある荻野氏の古墓群


……………
この城の特徴という畝状竪堀群は、おりからの藪と雑木に覆われて確認することはできないが尾根道のところどころにそれらしい地形はみてとれる。高城から低城、宮ノ越に広がる城址は相当な規模のもので、とくに宮ノ越は広い主郭を中心に南尾根へと階段状に曲輪が連なり、切岸も高く、要所に着られた竪堀も見事なものだ。遺構の保存状態も悪くなく、ちょっとしたハイキング気分でも登れる位田城址は、 戦国時代の歴史を気軽に味わえる城址である。

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