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戦国山城を歩く
宇喜多氏に敗れ去った後藤氏の居城
JR姫新線林野駅を下車して、東南方向に「天」の字をかたどった山が見える。それが三星城址がかつてあった山で、三つの峰が連なっていることから三星山と呼ばれるようになったという。応保年間(1160ごろ)、当地の土豪渡辺氏が居館を築き妙見城と証したことが最初という。南北朝時代のはじめ、後藤康基が地頭職として入部して以来、後藤氏の代々が
居城とした。後藤氏は赤松氏、山名氏、浦上氏そして尼子氏と、ときの有力者の間をよく泳ぎきり、戦国後期の当主勝基は宇喜多直家の娘を室に迎えていた。そして、三星山全山を城塞化して美作に威勢を振るった。しかし、天正五年(1578)ごろより宇喜多氏と隙を生じるようになり、ついに同七年、宇喜多氏の攻撃を受けた。勝基はよく戦ったが、数に優る宇喜多勢
の前に力尽き、落城とともに後藤氏は滅亡した。
・JR 林野駅構内から城址を遠望
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