黒田氏
藤巴/黒餅
(宇多源氏京極氏流)


 黒田氏の家紋は「石餅(石持)」と「藤巴」である。宇多源氏佐々木氏流とする家系からいえば、 佐々木氏流の代表紋である「目結」紋を用いるのが自然と思われるが、黒田氏が目結紋を用いた形跡はない。
『黒田家譜』によれば、将軍足利義稙の怒りに触れた黒田高政は近江を退去させられ、備前邑久郡福岡村に移り住んだという。 高政の子重隆は備前から播磨に移り住み、持ち前の才覚によって土豪に成長した。重隆の嫡男満隆もひとかどの人物で、 西播磨の大名小寺氏に客将の礼をもって遇され、やがて家老となり名字と一字を許されて小寺職隆と名乗った。 職隆の子が孝高、すなわち黒田官兵衛で、如水の号で知られた武将である。
 黒田氏が定紋とした「藤巴」紋は職隆が仕えた小寺氏の家紋であり、室町時代に成立した『見聞諸家紋』にも 小寺氏の「藤橘巴」が収録されている。小寺氏は播磨守護職を世襲した赤松氏の一族でり、藤巴紋は赤松氏の巴紋を 変化させたものと思われる。そして、小寺氏の藤巴は橘紋と組み合わせているのが特徴である。 黒田氏は主家小寺政職から小寺の名字を名乗ることを許されたとき、藤巴紋も賜ったものであろう。
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家紋:『見聞諸家紋』に見える小寺藤兵衛の家紋

 ところが、黒田氏が藤紋を用いるようになったはじめに関して、以下のような伝説が伝わっている。
 天正四年(1576)、官兵衛孝高は織田信長に叛旗を翻した伊丹城主荒木村重を説得するため伊丹に赴いた。しかし、 囚われの身 となり、背後に溜め池のある土牢に入れられた。その環境は、陽もささない、湿気の多いジメジメとした洞穴のような ところであった。そこに官兵衛孝高は一年以上にわたって幽閉されたのである。そのとき、ややもすれば崩れ落ちそうになる 官兵衛の心を慰め励ましたのが、土牢から見える藤の花であったという。伊丹城が落ちて救い出されたときの官兵衛は、 ほとんど幽鬼のごときありさまであったと伝えられている。のちに体力を回復したものの足萎えの身となってしまったが、 生きる力を与えてくれた藤の花を徳として、以後、自らの紋として用いるようになったというのである。
 官兵衛は主家である小寺氏に陥れられて土牢に幽閉され、その身は健常を損ねただけに、主家から賜った「藤巴」紋に 対しても考える所はあったと思われる。しかし、藤巴紋を用い続けたのには、土牢から見えたという藤の花のことも あっただろうが、それ以上に官兵衛の律儀な性分が非道な主家とはいえ黒田氏を取り立て優遇してくれた小寺氏を 大切にした結果と思われるのである。織田信長に反した小寺氏は没落の運命となったが、のちに大名に出世した黒田家に 招かれ客分として存続した。非道な主家であったとはいえ、官兵衛の篤実な性格がうかがわれるのである。
廟所  一方の「石餅」紋は、ともに羽柴秀吉の帷幄にあった竹中半兵衛からもらったものだという。竹中氏は「九枚笹」紋と 「石餅(石持)」紋を併用していた。「九枚笹」は名字を表したものだが、「石餅」の由来に関しては、あるときの 戦いで半兵衛は胸元に一矢を受けたが、たまたま懐に入れていた鏡餅のおかげで大事にいたらずにすんだ。以後、白餅を 家紋に用いるようになったという。 そのようなこともあったのだろうが、「餅」は「持ち」に通じ、「石持」は「石高が増える=加増を受ける」に通じる 縁起のよいものとされ、多くの武家が家紋あるいは旗紋として用いたものである。
 『黒田家御紋由緒考』には、「白餅の御紋は、江陽記、佐々木判官京極家の四目結又蔦或は桐を用ゆ。黒田家の紋は白餅を 用ゆとあり。又、古今著聞注解に、黒田家の紋黒餅は、江州佐々木家黒田判官の時よりの紋也。其の子孫右近大夫、江州 より備前に移られし後、家の紋謙退有りて、替紋永楽銭を用ゆとあり。白餅は、江州より黒田家の紋なること京極家に たしかなる伝説なる故、黒田氏を用い給ふに依りて白餅を紋とせられしなるべし」とあり、近江のころより用いていた となっている。黒田氏の石持紋のことはその、出自と併せて、確実なところは不明というしかないが、相当、古いころより 家の紋として用いていたことは確かなようだ。
 黒田如水のあとを継いだ長政は、関が原の合戦の功により、筑前五十万石の大大名となった。そして、黒田家は「石餅」 と「藤巴」に加えて、「三つ橘」「永楽通宝(永楽銭)」紋も併用した。「三つ橘」は小寺氏の「藤橘巴」の「橘」を抜き出した ものであり、かつての主家小寺氏の紋は形を変えて黒田家に受け継がれたのであった。「永楽銭」紋は、先の紋由緒考に記された ものであり、小寺氏に仕える以前は永楽銭を用いてたのかも知れない。

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写真:姫路御着城址に祀られる孝高の祖父黒田重隆と母職隆夫人の廟所に 打たれた石持紋と藤巴紋




【掲載家紋:石餅(石持) /三つ橘(黒田橘) /京極氏の目結紋】


■黒田氏の家伝 ■小寺氏の家伝 ■京極氏の家伝



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