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小瀬氏
右丁字巴
(清和源氏佐竹氏流)


 小瀬氏は常陸源氏佐竹氏の一族で、佐竹貞義の三男義春から始まる。義春は、兄義篤とともに建武二年(1335)から翌年にかけて、足利尊氏の配下に常にあって、各地に転戦して南朝軍と戦った。建武三年、常陸南朝方の豪族那珂氏を滅亡させると、その功により、那珂氏の所領ほかを本家から与えられて、興国二年(1341)ごろに、佐竹氏西方茂木方面、北方福島方面ねの備えとして小瀬城を築き、それを本拠とし小瀬氏を称した。
 以後、義春は小瀬三郎を称し、当時、佐竹宗家より篤い信頼を寄せられた。小瀬城入城後も宗家のために忠勤し常陸南部の南朝軍討伐にも度々出陣して功を立てた。以後の代々も、佐竹宗家の旗下に属した。
 小瀬義春は、佐竹義重に属し義重から中務大輔の官途を与えられた。天正七年(1579)十月、当時、後北条氏に小山祇園城を追われて佐竹義重の庇護を受けていた小山秀綱・政種父子から書状を送られている。義春の子、義行は佐竹義宣に仕えた。天正十八年(1590)二月、陸奥滑津において石川衆と合戦し軍功をあげ、義重から越中守の受領を与えられた。
 慶長七年(1602)、宗家佐竹氏が常陸から秋田大舘への転封に際し、小瀬義行も佐竹氏とともに秋田に移住した。初め横手に落ち着いたようだが、その後、佐竹一門から外されて秋田藩の家臣に列らなった。


■参考略系図
    


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