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大胡氏
洲 浜*
(秀郷流足利氏族)
*後裔徳川旗本家の家紋。


 藤原氏秀郷流足利氏の支族。淵名兼行の孫・重俊が上野国赤城山南面の勢多郡大胡に城を築き、大胡氏を称した。『吾妻鏡』や『義経記』などに大胡太郎の名がみえる。同一人物か?
 戦国時代、重俊から十代の孫・大胡重行の子勝行にいたって、小田原北条氏三代の氏康に招かれ、江戸牛込に移り住み、以後牛込氏と称した。
 勝重は北条氏政・氏直の二代に仕えた。天正十八年(1590)、秀吉の小田原征伐によって、北条氏が滅亡。翌十九年、徳川氏に拾われてその旗本となった。秀吉の朝鮮の役には、家康に従って肥前名護屋に出張している。慶長五年(1600)、関ヶ原の合戦に従軍。元和三年没した。
 俊重は、秀忠に仕えて、大坂の陣に出陣。豊臣軍の攻撃によって先鋒が乱れ騒いだとき、踏ん張って敵勢を押し返すことに功をあげた。その後、秀忠の子・駿河大納言に付属され、書院番頭を務める。忠長改易後は、岸和田城主の松平周防守に預けられた。
 寛永十三年、秀忠に再び仕えて、以後子孫は旗本・牛込氏として続いた。


■参考略系図
    

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