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笠原氏
丸に三つ柏
(藤原姓)


 武蔵国埼玉郡笠原郷から起こる武蔵国造家がある。『日本書記』安閑天皇の条によれば、武蔵国笠原直使主が同族小杵との地位争いに勝利した際、橘樹郡・久良岐郡成立の核となったという倉樹など四屯倉を朝廷に献上していることが記されている。
 戦国期、小田原北条氏の重臣に笠原氏がいた。この笠原氏は近年まで伊豆の出身と思われていた。しかし、岡山県井原市神代の笠原家に伝えられた系図には、笠原氏冬が伊勢貞藤の家臣になり、その子氏重が北条早雲に従って駿河に下ったとしている。また井原市の『大山家文書』には、永正元年(1504)頃に、早雲の依頼によって法泉寺の修築を笠原氏が奉行として行ったとしている。いまも、井原市・笠岡市に笠原家があり、いずれも伊勢貞藤に仕えたと伝えている。
 氏重の子が越前守信為で、享禄二年(1529)十二月の判物が横浜市小机町の雲松院に残っており、それには
 熊野堂五貫文は早雲寺殿茶の湯料として永代寄進す
とあって、雲松院に早雲寺殿の菩提を弔う茶の湯料を信為が寄進したことが知られる。このことは、笠原信為が早雲の古参家臣の一人であったことを示しており、笠原氏が備中伊勢氏の根本被官として、早くから早雲に仕えていたことを伺わせるに十分ではなかろうか。

後北条氏重臣として活躍

 信為は、初め北条氏の重要な支城である小机城をまかされ、その系は、のちに城主となった北条氏綱の子氏秀、氏尭のもとで小机城を守備したと思われる。信為は橘樹郡下菅田村で茶毘に付され、小机村に葬られたと伝え、信為の庶子とされる平六義為は、同郡大曽根村に砦を築いて小机出張城と唱えたと『武蔵風土記稿』に伝えている。
 永碌十二年(1569)十二月、武田勝頼と武田左馬助信豊が北条幻庵の子北条新三郎兄弟が守る、駿河の蒲原城を攻めた。この合戦で、勝頼と信豊は北条兄弟をはじめ、笠原・清水・狩野介など北条方の武将を討ち果たして、蒲原城を占拠した。ここに出た笠原は信為の子能登守康勝と思われる。おそらく、武田の侵攻に対して蒲原城に援将として出張していたものであろう。
 康勝の子は平左衛門照重で、永禄十二年五月には、氏政より興国寺城の当番を命じられている。そして、天正九年(1581)十二月、伊豆の戸倉で討死にしたという。
 『北条氏所領役帳』によれば、小机衆に笠原平左衛門がおり、小机師岡九十貫文・西郡柳下十八貫文を領している。また、[役帳』には平左衛門をはじめ、小机八朔・東郷泉郷など百九十一貫文を領した評定衆の笠原藤左衛門康明、西郡多古・中郡大磯・同郡谷郷など四百四十七貫文を領し、伊豆北部の郡代を世襲した初期の評定衆の笠原美作守綱信の名も見える。笠原越前守は、天正十三年(1585)西郡大友に長善寺を建立している。
 北条氏重臣の一人である松田憲秀の小新六政尭は、笠原康勝の養子に入り、駿河戸倉城にいたが、のち武田方につき、北条氏直に殺害されている。
 笠原氏は、一説に源姓というが、江戸期に旗本となった笠原氏は藤原姓を称し、伊豆の戸倉で討死にした 照重の子重政が、北条氏没落後徳川家康に仕え、天正十九年都築郡台村を知行し、子孫は徳川旗本として続いた。

………
武田信玄に抗った信濃笠原氏

 戦国期、信濃国佐久郡志賀城に拠った笠原氏がいた。『諏訪神氏系図』によれば、諏訪神家有信−為信−為仲−為盛−盛行−行遠(保科四郎大夫)−行直−行連と続き、行連の子範行が笠原弥次郎を称し、笠原氏の祖になったという。また、『諏訪志料』には「笠原氏、神姓にして諏訪大祝の祖神有員数代に神四郎大夫行遠なる者あり。保科笠原の祖たり。治承中、笠原平五頼直あり、代々笠原郷を領地せしが、木曽義仲に攻められ、頼直、越後国に奔走。頼直の男四郎光正は、源頼朝に属して旧領笠原郷に帰住す。その男光杜、文治中、鎌倉に仕え、その男光重、北條義時に属し、弟正之、同新三郎は、建保中、佐久郡志賀城に移る」とみえる。
 数代の後、笠原新三郎清繁が出て、上杉方に属して武田氏に抵抗した。信玄は、笠原氏を援けにきた上杉憲政の軍を打ち破り、そのとき挙げた首級三千を志賀城の廻りに立て並べた。これを見た城兵の気勢は削がれ、ついに信玄に攻め落とされ、清繁らは一族ともども戦死した。このとき、城内で生け捕られた女や子供は甲府に送られ競売にかけられたと伝える。信玄の非情な武将としての一面がうかがえる。
 この合戦で敗れた笠原氏のうち、一族能登守光貞は相模国に走り、北條氏政に属して武功をあげたが、永禄年中に戦死した。光貞の次男新六郎常克は、北條の臣伊豆国戸倉城主松田尾張守の養子となって松田新六郎と称した。のち、本姓に復し武田勝頼に従い、武田家滅亡の時に戦死した。
 この伝からみて、さきに出た政尭と常克は同一人物であったのだろうか。とすれば、本来笠原氏であったものが、松田氏に養子となり、また笠原氏に戻ったものか。


■参考略系図

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