上遠野氏は下野国の守護小山氏の一族で、応永十一年(1404)、従五位上陸奥守小山政朝(藤井政朝)が軍功により、奥州菊田庄上遠野郷を賜ったことに始まるという。政朝の子孫秀時は城を築いて日の沢城と称し、在名にちなんで上遠野氏と称した。(別説に、秀時の子の遠江守秀通は正平三年(1348)に楠正行に従い戦死し、のち上遠野大炊頭義忠が上遠野城を築き住んだともいう。) 上遠野氏は国人領主に成長し、やがて南奥州の戦国大名岩城氏と血縁をもって勢力拡大をはかっていった。戦国時代後期になると、伊達政宗の勢力が膨張し、岩城氏も伊達氏の配下に属するようになり、遠野惣領家は武士を捨てて帰農したという。一族の大炊頭隆秀は伊達家の家臣として仙台に移住し、慶長元年(1596)、三坂村に転封になった。また、佐竹氏に属した一族も知られている。 伊達氏に仕えた上遠野氏に関しては、『伊達世臣家譜』に元禄年間 (1688〜1704) の江戸での功績により大川口邑を拝領したとある。また、『仙台人名辞典』には、上遠野下野、上遠野要人らが撃剣家として記されており、上遠野氏は願立流刀術や手裏剣等の武術に通じた家柄であったことが知られる。 いまも栗原郡一迫町の大川口に上遠野氏館跡の大桜が史跡として残り、近くに上遠野氏墓所も残っている。 |