山中氏系図をさらに探る!
近江山中氏の系図は、刊本としては『続群書類従・系図部集』『古代氏族系譜集成』『姓氏家系大辞典』などがあり、それぞれ異同がある。類従によれば、橘奈良麿を祖として義通に至るまで、以長(奈良麿十五代後裔)─以政─仲遠─道文─為義─義通となっている。その後は、義清─俊清─盛宗─盛俊─俊正─俊康─頼俊─宗兼─俊直─重尊─俊信─俊村─賢信─実秀─俊定─俊正─俊治(大阪両度の陣に出陣)─俊重となり、前ページの系図とかなりの相違がある。また、戦国時代末期に六角氏家臣として活動した嫡流の久俊・俊好らに至る系図は不詳となっている。
南北朝期における山中氏系図の混乱をふまえ、戦国末期の久俊・俊好らに至る系図にアプローチされたのが岩城大介氏の『中世武家系図の仮設的再構築』内の山中氏系図であり、『中部大名の研究』に収さめられた久留島典子氏論文において復元された山中氏系図である。それぞれ古文書を丁寧にあたられ、非常に納得性の高いものである。ここに、両者の復元された系図を掲載させていただき、山中氏系図の研究が進むことを願いたい。
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