禰寝氏資料あれこれ


平氏禰寝家系図

清盛─重盛─維盛─高清─清重【禰寝氏】【小松氏】
『桓武平氏にして維盛の子高清、字六代律師妙覚、その子清重、称清重者用清盛之清、興重盛之重也云々、建仁三年七月三家将軍頼家卿補彼院(禰寝南俣院)地頭職之旨、賜袖判下文俟、云々、於茲改平氏称建部氏者也』

             ┌重延【税所氏】
             │   ┌存盛【佐多氏】
建部清近─┬清助──親助─┴時盛─┴兼盛【田代氏】
     │
     └清貞──清房──女子
               ├─┬清村──親村【松沢氏】【佐多氏】
 平重盛──維盛──高清──清重 ├清忠
                 └清綱──清親──清治──清保──清成

禰寝重長
(ねじめ しげたけ) 1536〜1580
清年の子で大隅の国人禰寝(根占)領主禰寝氏第十六代当主。はじめ肝付氏の被官として島津義久と戦うが天正十年に義久と和議、その後は義久に属して旧主肝付氏らと交戦した。後に一時種子島氏と争うが、対明貿易や温州みかん・はぜなど各産業の開発振興に従事した。
 天文十二年(1543)、大隈半島南部の禰寝氏は、種子島代恵時の悪政を正すとの名目で種子島に来襲し、種子島氏を破り屋久島を奪った。城ヶ平城は屋久島を手に入れた禰寝氏が、種子島氏の攻撃に備えて築城途中の山城である。しかし翌十三年、屋久島奪還を企てた種子島氏から攻撃を受け、禰寝氏は城ヶ平城から敗走した。

●禰寝重長画像



・個人蔵 黎明館受託資料
 http://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs02_s3_4.htm


禰寝重張
(ねじめ しげひら) 1566〜1629
重長の子で大隅の国人禰寝(根占)領主禰寝氏第十七代当主。島津義久・義弘・家久三代の家臣。初名は重虎、安芸守を称す。朝鮮の役の際には自らは出陣せず家臣のみ送り、文禄年間の秀吉の検地ののち、同四年に薩摩吉利へ移された。

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