![]() かくして、蓮如は多くの子女をもって教団の拡大を進め、本願寺が「虎の子」とした北陸に、本泉寺、松岡寺、光教寺の、蓮如の子らを住とする「三ケ寺」をもって本願寺の勢力を定着させていったのである。それは、あたかも本願寺による封建体制というべきものであった。 蓮如の死後に起った「大小一揆」は、蓮如の子らによる内部抗争とでもよべるべきものだが、その火付け役となったのは証如を後見する蓮淳であり、蓮淳は北陸の一大勢力である「三ケ寺」の支配体制を突き崩して、新たな本願寺体制を築こうとしたのである。とはいえ、多分に蓮淳の本願寺教団経営に対する野心もあったことは否定できないが。 |
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