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江川氏
五三桐に二つ引両 /井桁の内十六葉菊
(清和源氏宇野氏流)


 江戸時代韮山代官を世襲した江川氏がある。清和源氏宇野氏流で宇野親治の子俊治を遠祖とするが、江川氏そのものの成立に関しては、『寛永譜』『寛政重修諸家譜』などの系図以外には、江戸時代に「鎌倉時代以来の名家」と自他ともに認めていた家柄であることと、それにまつわる伝承しかない。また、幕末の韮山代官江川英龍が著わした家歴「江川坦庵宛佐久間象山書状」などもある。『二宮尊徳全集』には「江川家由来記」があるが、天保期以降のもので成立は新しい。
 伊豆の旧家に「江川氏秘記」なる系図が多く伝存し、「他見不許」と記しながらも、逆に流布を図った意図を感じ取れる。いずれの家に伝わったものも同内容で、『寛政重修諸家譜』に源頼親から仲治までを加えたものである。
 いずれにしても、江川氏系図は近世に入って作られたもので、伝承の流布・確立は寛政期のころと考えられる。となると中世の江川氏の事歴を立証することは困難であるとしかいいようがない。しかし、長い家歴であり、伝承は時代とともに信仰と化した。先の英龍をはじめ江川氏累世これを信奉していまに至っている以上、史料もなく真偽を論ずることも空しい作業とはいえないか。

歴史への登場

 文献上に出てくる江川氏をみてみると、江川酒についての史料が多いことが目につく。酒に関して「江川氏系譜」の英治の項の註として「酒を造って、最明寺時頼に進、時頼之を飲て美味なることを感、是より酒の名世に流布仕候」とあるのが家伝の初見である。戦国期、又太郎正英は北条早雲の幕下にいたが、「酒を造って早雲へ進む。早雲美味なることを感じ、江川酒と名を賜い、酒部屋を造らしむ、是より江川酒の名世上に流布仕候」と、江川酒は早雲の命名と伝えている。
 以後、江川酒は北条氏の贈答品として、上杉謙信、長尾憲景、安中五郎兵衛、北条氏邦らに北条氏政が贈っていることがみえる。また、天正十年には武田討伐の戦勝祝賀として、氏政は滝川一益を介して織田信長に馬・「江川の御酒」・白鳥を献上している。『松平家忠日記』にも、天正十年三月、同十五年三月の条に「家康様より江川酒給候」とある。このように江川氏によって韮山で造られた江川酒は、北条氏政のころには銘酒と評価され、戦国大名の贈答品となりえていたことが確認できる。
 江川氏は、酒を造るだけでなく、武将として合戦に参加していたこともあったようだ。北条氏綱が戦った国府台合戦に英元が活躍している。また年号は不明だが、伊豆に武田軍が侵攻したとき、北条氏の幕下として仕えた江川氏も防戦に奮戦、家臣の宇野某が清水玉川で敵を討ち取り、北条氏より感状を拝領している。
 江川氏の場合、本家は酒造りに従事していたようだが、分家が北条氏に仕えたようである。系譜では、北条氏に仕えた江川氏として、英盛の弟正英、英景の弟久治、英元の弟親久・親種らの名を記している。
 中世豪族のひとつの生き方として、江川氏の存在は注目されるところが多いのではないか。



■参考略系図


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